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MLBPARKという韓国のコミュニティサイトから【 日本の天皇は伽耶7王子の子孫だ 】というスレの翻訳


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日本の天皇は伽耶7王子の子孫だ

MLBPARK
2021.05.10 20:56


日本古代史に、伽耶7王子が天皇に即位したという内容が登場する。

韓国の歴史書でもそうだし。

伽耶が日本の天皇をしていて、百済の王族、貴族が入ってきた時は、ひっくり返すことも出来ないほど日本の国は大きくなっていた。

我々は百済が滅亡後に日本を食べて、日本の天皇家を成したと勘違いするが、百済滅亡の時が7世紀頃だが、この時派兵されて来た日本の兵士が数万人いる。 

敗北国の百済が日本に行って国を食べ、ずっと続いているのが話になる?

百済は日本の発展のための取引国であり、それ以上ではなく、日本は百済を徹底的に利用しようと同盟を組んだと思われる。

新羅や高句麗が日本にそれほど好意的ではなかったため、仲間はずれにされるよりは百済とでも物々交換をし、中国とも取引しなければならないため、その通路だったようだ。

ちなみに、勝利国新羅の金閼智(キム・アルジ)子孫のキム氏が清を建国したんだ。 新羅が食べた伽耶の金海金氏の王子が日本の天皇になったのだ。 日本は伽耶を食べた新羅への復讐のために、日本の西暦720年、朝鮮半島の三韓を神宮皇后が食べたと歪曲し、朝鮮半島侵略を正当化し、伽耶の復讐を続けるために、新羅、統一新羅を攻め続けた。

伽耶の子孫である金庾信(キム・ユシン)が最初の三国統一、伽耶の王子である日本の天皇、新羅の皇孫である金氏が、清を建国。歴史は勝利者が書くのが正しいようだ。


韓国の人々が日本、中国を全て食べたのだと思う。 偉大な韓民族だと思う。


ソース
https://is.gd/3KiHel


※韓国の国旗がスレ主です。

キムチ
アメリカタヌキはラクーン
だとしたらどうしようと言うのですか。
ユッケ
Rabbithole
グクポンwwwww

<補足>
グクポン:自国を無条件褒め称える「無条件愛国主義者」
キムチ
アメリカタヌキはラクーン
西洋男、日本女が出てくるAVオススメ

日本王朝とタイ王朝の違い

これを疑うべきですか、確信して見るべきですか

親の悪口をどこまで見たらいいですか

<補足>
スレ主が建てた過去スレタイトル
チジミ
禁止された
伽耶の子孫なのか?
ビビンバ
空の星
しかし、日本の天皇達がカミングアウトしませんでしたか?

自分たちは百済系だと...
キムチ
崑崙三聖の嫁
ファンパですか?

<補足>
ファンパ:国粋主義的な歴史観を持つ人を侮辱する言葉
ユッケ
nicolasmun
アメリカタヌキ、あの人がコメントを書くのを見ると 非常に卑劣でレベルが低そうに見える
テグキ
日本における百済は日本の天皇家(伽耶王孫)の戚族だった

http://m.munhwa.com/mnews/view.html?no=2020092301031612000001

スレ主が貼ったリンクの記事です。

5世紀、扶余・加羅の騎馬民族、日本列島征服 ... "任那日本府説" は捏造

文化日報
2020.09.23 10:25


no title


■シン・ヨンハの人類五大「古朝鮮文明」-(20)「騎馬民族日本征服説」

百済・金官伽耶・倭の三国同盟、新羅の救援要請を受けた広開土王部隊に惨敗 ... 日本に入って「大和」王国建国

朝鮮半島・大陸で出土した馬具類・甲冑・柄など5世紀初めから日本でも出土 ... 歴史的事実で証明

古朝鮮文明は、海の向こうの日本列島の古代国家形成にも大きな影響を及ぼした。 1948年、東京大学の江上波夫教授は『騎馬民族征服王朝説』を発表した。 彼の学説は「大陸騎馬民族による日本列島征服と天皇家および日本古代国家形成説」と「韓・倭連合王国説」からなっている。 筆者は「韓・倭連合王国説」は、日帝の御用達が捏造した「任那日本府説」にとらわれ、虚構に陥ったものと見る。 しかし『騎馬民族征服王朝説』は、日本古代国家の建国を客観的に説明する創意的な学説だと考える。

要旨はこうだ。 朝鮮半島と大陸で出土した鉄製の馬具類と鎧、騎馬戦に便利な服飾などが、5世紀初めから突然日本列島で出土し、同時に金銀装飾の冠・耳飾り・柄などが出てくる。 これは日本列島内の自生的文物ではなく、大陸の騎馬民族や王侯貴族的文化が突然出現したものである。 これは、日本列島の住民の自発的な大陸文化の受け入れの結果とは言えない。 これは大陸から「騎馬民族」が渡り、日本列島を征服したことを示している。 特に出土品は「馬具類」だけでなく各種武器、服装、装飾品まで一種の文化複合品であり、大陸の騎馬民族と同じものである。 「騎馬民族」が馬と共に日本列島に渡り、小国を征服・統一して「大和」古代国家を樹立し、「天皇」など日本の「支配層」を形成したことを証明する。 江上教授の騎馬民族日本列島征服王朝説は発表されるやいなや、日本の学界に大きな衝撃を与え、一部は驚愕し、江上教授の学説に反発した。

日本の大和古代国家の建国は、必ず2段階に分けて見る必要がある。 先に朝鮮半島から日本列島に移動し入った大和小王国を建てた人たちは、朝鮮半島の高靈地方の "ミオヤマ国" の人たちだった。 彼らはAD42年に南下した扶余族の騎馬軍団にミオヤマ国を奪われ、約1世紀の間一緒に生活し、大伽羅(任那)統治に不服な王族と武装勢力の一部がAD2世紀に大韓海峡を渡って日本列島に到着した。 彼らはそこを新しい定住地とし、「ヤマ族の(土地)」という意味で「大和」小王国を建国した。 「ミオ」は「聖」「王」「宮」、「ヤマ(ヤマト)」は族名、「土」は韓国古代語の地、土の変音だ。 「ヤマ(ヤマト)」は「ヤマ族の地」という意味である。 これらの本国が「ミオヤマ国(任那)」であるため、「ミオヤマ国」を読むとき、略して「ミマナ」と読むことである。 これが日本古代国家ヤマトの最初の起源である。

韓半島から日本列島に渡った人々は、日本列島にそれぞれ出身国という呼称の「自治共同体」の分国を建てた。 その結果、AD2~4世紀頃には九州や本州など日本列島にも朝鮮半島の馬韓・辰韓・弁韓・任那・加羅・高句麗・百済・新羅の分国が多数存在するようになった。 中国古文献によると、AD1世紀ごろ、日本列島には100あまりの小国が存在した。

ヤマト小王国建国(AD・2世紀中頃)の約70年後、世襲王子がいないことから、武将の間で激しい権力闘争が起こった。 結局、AD3世紀初めに「卑弥呼」を女王に推戴し、ヤマト小王国が安定したと記録されている。 日本では卑弥呼女王を巫女と説明しているが、重要な要因説明が欠けている。

筆者は、「卑弥呼」が扶余皇族皇女出身であり、ヤマト王国の安定に大きな役割を果たしたと思う。 扶余王族の名字「ヘ」は日本語では「ヒ」と発音される。 朝"ヘ" が朝 "ヒ" に変音したのと同じだ。 「美」は「王」「宮」の意味で、"コ" は「子女」の意味だ。 日本では「ミとコ」を合わせて「ミコ(尊)」と読むこともある。 「ヒミコ」は(扶余)王族・海氏の皇女の当時の用語であり、これを「卑弥呼」と表記したのは、古中国の魏代の使臣、張政などが悪い意味の漢字を選んで音次表記したものである。

『三国志』倭典によると、卑弥呼女王が(AD248年)死去すると、直径が100数歩もある大きな墓を作り、100人の奴婢を殉葬した。 このような「殉葬制度」は扶余・加羅王族の風俗である。 卑弥呼女王の継承者として男子王が登場した。 しかし、武装勢力による内乱が起き、殺害された者は1000人に達した。 さらに、卑弥呼女王の宗室の女性「イヨ(壹與)」を天皇にすると、国内は安定した。 さらに深く介入した魏の使臣張昌らは帰国し、大和の状況を魏の朝廷に報告した。

中国古文献の情報はここで終わり、その後2世紀の間、日本列島と大和国に関する情報は日本にもほとんどない。 6世紀初めになって、畿内地方の大和に対する片鱗が日本の古文献から数点出始める。 日本列島の歴史記録のないAD5世紀の歴史的事実を明らかにできる資料は考古遺物だ。 この時期の5世紀初めから、日本列島で出土された考古遺物の中で最も大きな変化は、日本列島に突然現れた大陸と朝鮮半島の加羅式先進鉄製馬具、武器や金銀の装飾物だ。 江上教授の騎馬民族、日本列島征服王朝説の根拠となる遺物だ。 しかし、江上教授は征服主体である騎馬民族の名前を特定しなかった。


(あまりにも長いので以下略)


ソース
http://m.munhwa.com/mnews/view.html?no=2020092301031612000001




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