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ネイバーから、【 過激だという "レッテル" にも ... 日本の女性差別撤廃を成し遂げた "熱血記者" 】という記事の翻訳


<管理人の独り言>
※長いです。
記事中に " " が多いのは元々です。


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過激だという "レッテル" にも ... 日本の女性差別撤廃を成し遂げた "熱血記者"

京郷新聞
2021.04.26 21:46


松井やより

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松井やよりは、アジアをあちこち歩き回りながら歴史の真実を記録してきたジャーナリストだった。 また、自身に突然差し迫った死より日本軍慰安婦裁判の結果を心配していた人権運動家だった。 写真は2003年雑誌『アゴラ』特集号の表紙


「特に "女性国際戦犯" 法廷を提唱し実現させ、見事なハーグ判決が得られたことが何よりも慰めになります。 この成果をどうにかして広められることを心から願います。 こうした歴史的な "法廷" を日本のメディアは無視し、特にとんでもない編集をして歪曲放送したNHKに責任を問うため、昨年提訴しました。 その原告としての責任を最後まで果たすことができないことは残念極まりません。 何とか公正な判決を下せるようNHK裁判の支援をよろしくお願いします」

松井やよりは高校2年生のとき、"病に倒れてしまった"。 重症の肺結核や結核性腹膜炎で療養生活を余儀なくされた。 幼い頃から『アンクル・トムの小屋』と『レ・ミゼラブル』が好きで、高校では世界史にのめり込み "広い世界で暮らしたいという希望に燃えて一生懸命勉強" した松井やよりは、"このままじゃ死ぬのではないか" と思うほど悪かった。

結核の特効薬であるストレプトマイシンを100回以上打ち、少しずつ回復していったが、復学準備をする過程で再び倒れた。 腎盂炎だった。 高校を中退した。16歳から20歳まで4年間、闘病生活を送った。 ドストエフスキーを読みながら "病床の孤独と焦り" をなだめたりもしたが、一人だけ "どんどん取り残される" ようで苦しかった。

しかし、松井やよりは死ではなく人生を考えた。 英語をしっかり勉強して "戦争のない平和な世界" を作ることに少しでも貢献しながら生きることを決意する。 1955年、松井やよりは東京外国語大学英米科に入学した。 闘病期間を思い浮かべると、1秒も決して無駄には出来なかった。 

"みんなに "スリースピード(three speed)" とからかわれるほど速く話し、早く歩き、早く食べ" 大学時代を過ごした。 1957年夏には交換学生に選ばれ、アメリカのミネソタ大学に留学し、1年後にはフランス・パリに向かう。 1959年秋、松井やよりは日本に帰ってきた。 1961年朝日新聞社に入社する。 「あの時、女性記者は特殊な存在で、社会部でも1人だけの女性だった。 入社式でもみな男性で、女性は私1人だけだった」 実力以外に記者として生き残れる方法はないと判断し、仕事だけに集中した。

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死ぬところを生き返って米・仏留学
当時特殊な存在であった女性記者として
日本経済成長の影を暴く

エリート男性が主導する社会で
女性差別撤廃条約の特ダネ記事に
国籍法改正などに影響及ぼす

松井やよりは、日本経済成長の裏側を探る報道で注目を集めた。 "公害と薬物被害そして農薬汚染" 問題を見逃すことはできなかった。 特に1960年代、日本ではサリドマイド薬物として "手足がなかったり聴力障害を持った障害児" として生まれた人たちが、深刻な社会的差別を受けていた。 大いに憤った。

「サリドマイド災害という深刻な薬物被害は、何よりも厚生省に責任を問わなければならなかった。 サリドマイドの安全性問題は海外から何度も情報が入ってきていたのに、それを厚生省が隠したのだ」 水銀中毒もまた、日本社会を破壊する深刻な問題だった。 松井やよりは水俣病取材の過程で "人の命を顧みない" 大企業の幹部、厚生省の役人と政治家に幻滅した。

しかし、1970年代の日本では "エリート男性主導の環境破壊的な経済と社会システム" に根本的な問題を提起する女性運動家がいた。 松井やよりは彼らに希望を見いだす。 特に水俣病患者たちを直接尋ねて彼らの話を "温かい筆跡" で伝えた石牟礼道子の『苦海浄土』を読みながら深い思いにふけった。

松井やよりは記者となり、「日本社会全体がどれだけ男性中心に動いているか」と知るようになった以上、「フェミニスト・ジャーナリストになろうと決心し、そんな観点で記事を書き始めた」と語った。 男性記者たちは冷たい視線で彼女を警戒した。 「あの女は過激すぎて極端過ぎる」という「レッテル」をやたらに貼った。

松井やよりは退かなかった。 1980年に松井やよりは女性差別撤廃条約の特ダネを書いた。 父が日本人の場合にのみ日本国籍を子供に与えることができた国籍法の改正と、男女雇用機会均等法の制定などを促す記事『婦人差別撤廃条約署名保留-法改正の見通しが見えない』が1980年6月7日、朝日新聞の1面に載った。 同記事は、日本はもとより国際社会に大きな波紋を起こした。

1ヵ月が経っても世論は沈静化しなかった。 日本政府は一歩遅れて閣議を経て、差別撤廃条約に署名することに決めた。 松井やよりは、日本国内の女性問題だけでなく、アジア女性の現実にも深い関心を持ち、問題解決に積極的に乗り出した。 韓国との縁も特別だった。

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松井やよりを称える展示会のカタログ写真


妓生観光・慰安婦被害者など
アジア女性の人権に注目し フェミニストジャーナリストとして奮闘

定年を終えた女性記者第1号であり
女性運動家の最後の願いは
「愛せよ! 怒れ! 戦え!」

彼女は1973年、ソウル金浦空港で梨花女子大学校の学生たちが『売春観光反対!』と叫びながらデモをしたという記事を見て、"妙に惹かれた"

取材結果、"日本人男性が韓国の女性を狙って団体観光に大挙出て行くということが分かった。 妓生観光を目玉商品にして旅行会社が売り始めたこのパッケージツアーで、年間50万人もの男性が韓国に来るという事実を知って驚いた"。

松井やよりはこの事実を広く報道したかったが、"どういうわけか紙面になかなか載らなかった"。 記事を送って一週間ほど経って夕刊に "初めの部分だけ小さな記事" として出るだけだった。

松井やよりは保守的な言論界だけを眺めているわけにはいかないという結論を下し、1973年に志を共にする友人たちとともに『キーセン観光に反対する女性たちの会』を結成し、"羽田空港からソウルに向かう男性たちに抗議の意思を示そうとした"

彼らはビラに "恥を知れ! 売春目的の観光団!" と売春観光反対を訴えた。 1980年にはフィリピン・マニラに取材に発ち、日本人の売春観光を批判する記事を2回にわたって発表した。 彼女は取材現場をアジア全域に広げることを決意する。

1981年、松井やよりはニューヨーク特派員ポストを提案された。 米国や欧州、ワシントン、ニューヨーク、ロンドンなどの特派員は人気があり、その後社内での昇進も保障された。だが松井やよりは上司に「アジア特派員になりたい」と答える。 新聞社内部では彼女を "本当に変な人" だと思った。

「異端児」「魔女記者」などと呼ばれていた松井やよりは、シンガポール特派員として4年間勤めながらアジア18カ国の地を踏み、隣国アジアの人々がどのような生活をしているのか取材した。 アジアのあちこちで第二次世界大戦の深い傷跡を体感した。 衝撃の連続だった。

"かつての日本軍蛮行についてシンガポール特派員時代にもう一つ忘れられない取材があった。 それは韓国人慰安婦だったノ・スボクという方の話で、マレーシア国境に近いタイ南部ハジャイという村に住んでいたので訪問したことがある" 

慰安婦被害者ノ・スボクは "40年余りの間、母国語を話していないため、韓国語ではなくタイ語で" 話をしたが、彼女の部屋の中には "小さな太極旗と色あせた家族写真" が置かれていた。 彼女は日本人警察官に連行され、"軍服を受け取って船に乗せられ、40日後に到着したのがシンガポール" だったと自分の話を始めた。 部隊とともにタイに到着した時、日本が降伏して英国軍が管理する捕虜収容所で過ごし、タイに残ったノ・スボクの生涯を盛り込んだインタビュー記事を、1984年11月2日付の朝日新聞夕刊に発表した。 "どれだけ彼女が残酷な経験をされたかを" 知っていたら、慰安婦問題がいかに "どれほど甚だしい事" なのかわかるしかないと思いながら、朝日新聞調査部、慰安婦ファイルにインタビュー記事を保管した。

1985年4月、松井やよりは日本の朝日新聞本社に復帰する。 彼女は、日本に居住するアジア女性の生活を密着取材する一方、日本の開発援助プログラムなどを批判的に検討する記事を書いた。

1990年代となり、日本軍慰安婦問題が公論化された。 定年が近づいていたが、そのためにさらに必死に慰安婦問題に集中した。 1993年春、フィリピン慰安婦被害者たちが日本を提訴すると、現地で取材を離れ彼女らから当時の惨状を聞いて、日本に帰って記事を作成した。 しかし、新聞社では「本当に嫌だ」「もううんざりだ」という言葉を口にする人が多かった。 松井やよりは「どんな手を使ってでも加害者の軍人を探そうと思う」と述べた。 彼女は1993年3月29日から31日まで3回にわたって日本軍加害者取材記事を "辛うじて掲載した" 

1994年4月、松井やよりは朝日新聞の記者生活を名誉裏に終えた。 33年前、東京本社にたった1人の女性記者として入社し、すべての過程を経て定年まで働いた女性記者第1号となった。 彼女は退職後、本格的に女性活動家として動いた。 "定年後、最初に関わった活動は『東アジア女性フォーラム』の開催コーディネーターだった"。そして1995年4月、アジア女性資料センターを設立した。 2000年12月には "日本軍性奴隷制を裁判する『女性国際戦犯法廷』を東京で開き、1年後の2001年12月にオランダのハーグで最終判決を得た"

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2001年、ある市民団体の講演会で発言中の松井やより


日本の右翼は「反日集会をやめろ!」「これはいんちきな裁判であり、捏造だ」と主張したが、松井やよりは "日本国家の責任を追認することと、戦時性的暴力不処罰の循環を断ち切るという2つの目的" を法廷で成し遂げようとした。

それから10カ月後の2002年10月、アフガニスタンのカブール訪問中に体に異常を感じた松井やよりは急きょ帰国した。 "ガンを宣告されて永眠するまで時間が82日しか" なかったが、彼女は物書きに "渾身の力" を注いだ。

彼女は自叙伝を始め、若い読者たちに懇願した。

「今の時代、特に日本では戦うことが異端視される。 したがって、戦うのには勇気が必要だ。 私にそんな勇気を与えた人は、まさに慰安婦と人身売買被害者、そしてアジアで最も虐待を受ける人達、そしてその人たちとともに戦ってきた勇気ある人たちだった。 愛せ!怒れ! 勇気を出して戦え! これが私の最後の力を尽くした心の叫びだ」

松井やよりは自叙伝執筆途中の2002年12月29日に死去した。 彼女は "踏みにじられ無視された極めて小さな者たちの側に立って権力に抵抗する姿勢で一貫" し、"いかなる公的な社会的地位とも関係なかった" 自身の人生を誇らしく振り返った。 松井やよりはアジアのあちこちを歩き回りながら、歴史の真実を記録するために命をかけて戦ったジャーナリストだった。 自身に急に差し迫った死よりも慰安婦裁判の結果を遥かに心配した人権運動家だった。 アジアの正義ある女性政治家として記憶したい。

*松井やよりの自叙伝『愛せよ、怒れ、勇気を持って戦え-ジャーナリストであり女性活動家 松井やよりの生命の記録』(キム・ソンミ訳、図書出版 仕える人々 2014)を読んで大きな感動と助けを受けました。 ありがとうございます。


文:チャン・ヨンウン
成均館大学校で論文「近代女性知識人の自己書史研究」で博士号を取った。 現在、成均館大学比較文化連携専攻の招聘教授として在職。


韓国ネチズンの反応
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※性別・年代別の表はコメント数が大体100件以上にならないと表示されません。

ソース
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=032&aid=0003071231


※共感順にソート出来ないようになっていました。

01. 韓国人
フェミは精神病だ。
コロナよりも危険な病気だ。
共感2    非共感2


02. 韓国人
時代が変わりました。
今は2021年、女性優越主義、女性が権力者である男性嫌悪の時代を生きているが、
1960年代... なんと60年前の女性の話なので興味深いですね。
今とはあまりにも相反した話..
共感1    非共感4


03. 韓国人
やよりさんを見ると恥ずかしい。
尹美香(ユン・ミヒャン)のせいで。
共感1    非共感0


04. 韓国人
韓国で女性に何の特別な特権があると大騒ぎなの?
共感1    非共感1


05. 韓国人
わ...ウォーマドフェミとは全然違う素敵な方なんですね。
拍手が自然と出ます。
共感4    非共感1


06. 韓国人
日本の事例では、女性、男性に入れ替えたらちょうど韓男地獄大韓民国の有様です。
共感1    非共感3


07. 韓国人
このような肯定的なフェミもあるが、今の大韓民国のフェミはウォーマードに過ぎず、女イルベに過ぎない。
共感5    非共感4


08. 韓国人
いつまで.. 過去史云々するのか..
共感1    非共感5


09. 韓国人
韓国人のためにも全力を尽くした日本人だね。
こういう方もいるんだ。胸が痛む。
特にサリドマイドという薬はドイツの大手製薬会社で作られ、つわりの抑制用として販売されたが...
世界のいたるところで手足がなかったり、使えなかったりする子供たちが生まれた。
共感11    非共感0


10. 韓国人
男性差別が激しい韓国と違い日本は実際に女性差別がひどい国なのに、こんなに活動した人がいるのが素敵だ。
共感8    非共感3


11. 韓国人
ネイバーで記事を読めば、人類愛を喪失するだけだったのに、このような方が実在したという事実だけでも感動を受けました。
良い記事を書いてくださり、ありがとうございます。
底をついた人類愛が、ほんの少し回復しました。
共感6    非共感2


12. 韓国人
女性が仕事をする事が今よりずっと大変だった時代に、しかも保守的で家父長的な性向がとても強い日本で、そのような仕事をやり遂げるなんて、本当に意志と情熱がすごい方ですね。
その熱かった人生に尊敬と拍手を送ります。
共感10    非共感0


13. 韓国人
アジアでは韓国が最も進取的な国である。
女性大統領も輩出したし。女性が男性を掌握しているというが、これがあまりにも偏っているのが問題だ。
共感11    非共感13


14. 韓国人
日本のフェミ世代たちはその後の世代に批判され、現世代は見向きもしない。
おかしな要求をして、結局消える。
つまり、フェミはただの精神病ということだ。
共感14    非共感8


15. 韓国人
素敵な人生でしたね。
共感3    非共感1


16. 韓国人
韓国フェミはもう親日もするwww
共感3    非共感5


17. 韓国人
韓国フェミ=ただの精神病者 その精神病者を扇動してカネを儲け、税金寄生虫がいる女性家族部。
共感14    非共感10


18. 韓国人
李舜臣提督語録:同じ空の下、倭とは共存し難い人間動物ども。
共感3    非共感1


19. 韓国人
嫌悪でカネを稼ぎながら韓男だの、おかしな言葉だけを口にするのがフェミニストなのではなく、この方のように被害を受けた方のために憤り、戦って同じ犯罪を阻止する人がフェミニストだ。
共感13    非共感4


20. 韓国人
うん、現実は極端主義に陥ったネロナムブルの情熱のかたまりであるフェミwww
共感10    非共感10

<補足>
ネロナムブル:ダブルスタンダード 私がすればロマンス、他人がすれば不倫




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