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韓国の高校で使われている韓国史の教科書(左・飛翔教育社)を翻訳。


<管理人の独り言>
先日、韓国の中学校で使われている歴史教科書の目次をあげましたが、高校の教科書の方が面白そうなので、皆さんにご意見を聞いておきながら大変申し訳ありませんが、今回は韓国の高校で使われている韓国史の教科書の一部を翻訳してみました。

※私は翻訳においてもド素人ですし、歴史もそれほど詳しくないですし(好きですが)、全てにおいてド素人ということをご理解いただいた上で、ご覧になって頂ければと思います。私はブログが生業でもないですし、韓国関連の仕事をしているわけでもありません。これは全て趣味の域なので、生暖かい目で見守って頂ければと思いますm(__)m


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韓国史①


01.目次

I. 前近代韓国史の理解
 1.古代国家の支配体制
 2.古代社会の宗教と思想
 3.高麗の統治体制及び国際秩序の変動
 4.高麗の社会と思想
 5.朝鮮の政治運営と世界観の変化
 6.両班身分制社会と商品貨幣経済

II.近代国民国家樹立運動
 1.西欧列強の接近と朝鮮の対応
 2.東アジアの変化と近代的改革の推進
 3.近代国民国家樹立のための努力
 4.日本の侵略拡大と国権守護運動
 5.開港以降の経済的変化
 6.開港後の社会・文化的変化

III.日本の植民地支配と民族運動の展開
 1.日帝の植民地支配政策
 2.3·1運動と大韓民国臨時政府
 3.多様な民族運動の展開
 4.社会·文化の変化と社会運動
 5.戦時動員体制と民衆の生活
 6. 光復のための努力

IV.大韓民国の発展
 1.8.15光復と統一政府樹立のための努力
 2.大韓民国政府の樹立
 3.6.25戦争と南北分断の固着化
 4.4.19革命と民主化のための努力
 5.経済成長と社会・文化の変化
 6.6月民主抗争と民主主義の発展
 7.通貨危機と社会·経済的変化
 8.南北和解と東アジア平和のための努力

I. 前近代韓国史の理解

I. 前近代韓国史の理解

 1.古代国家の支配体制
 2.古代社会の宗教と思想
 3.高麗の統治体制と国際秩序の変動
 4.高麗の社会と思想
 5.朝鮮の政治運営と世界観の変化
 6.両班身分制社会と商品貨幣経済

(写真についての説明)
1.「直指心体要節」金属活字復元品(清州古印刷博物館)
2.朝鮮王朝実録の「太祖実録」
3.景福宮勤政殿(ソウル鍾路)

韓半島と満州地域において成立した様々な政治勢力は、互いに競争・交流し合い、中央集権の古代国家へと発展した。

高麗時代には実利を追求する対外政策を展開しながら統治体制を整備し、多元的な社会を運営した。 朝鮮時代には性理学的な統治体制が確立された。倭乱と胡乱を経て対外関係と世界観は変化し、社会と経済にも変動が現れた。

(年表)
約70万年前 旧石器時代始まる
約一万年前 新石器時代始まる
紀元前2333 古朝鮮建国
427年 高句麗、平壌遷都
618年 中国、唐建国
676年 新羅
三国統一
698年 渤海建国
918年 高麗建国
936年 高麗
後三国統一
1135年 妙清の西京遷都運動
1170年 武臣政変
1231年 モンゴルの一次侵入
1270年 高麗
開京還都
1368年 中国
明建国
1392年 高麗滅亡
朝鮮建国
1590年 日本
戦国時代統一
1592年 壬辰倭乱
1636年 丙子の乱
1811年 洪景来の乱
1862年 壬戌農民蜂起

I-1.古代国家の支配体制_1

1.古代国家の支配体制

<考えの中で>
扶余と高句麗の支配体制

鉄器を使った部族が周辺に勢力を拡大し、満州と韓半島一帯では扶余と高句麗が成立した。扶余と高句麗は様々な地域集団の連盟に基づき、国家を形成した。 扶余では梅雨と日照りで五穀が熟していなければ部族長たちが王に責任を問ったりもした。 高句麗でも初期には大家たちが国家の重大事を決定したが、次第に王位継承を安定させ領土を拡張し、中央集権の古代国家へと発展した。

<考えを開く活動>
扶余と高句麗の王権が次第に差をつけた理由は何だろうか?

①連盟体に基づく国家が成長する
満州と韓半島地域から出土する琵琶形銅剣は剣の下の部分が丸く、胴部の中央に突起部があるのが特徴である。 この銅剣は中国の銅剣とは異なり、柄と刃を別々に作った後、組み立てた。 韓国史上初の国家である古朝鮮は、琵琶形銅剣のような青銅器文化を基に成立した。

<テーマに投げかける質問>
青銅器時代と鉄器時代に成立した古代国家の特徴は何だろうか。

先史文化の展開
約70万年前から満州と韓半島に人々が住み始め、「打製石器」を用いた旧石器文化が成長した。 旧石器時代の人々は移動生活をしながら洞窟や岩陰で生活した。 約1万年前からは新石器文化が始まり、磨製石器と土器が作られた。 新石器時代の人々は1ヶ所に定着して農耕と牧畜の生活をし、氏族単位で村を形成した。 新石器時代までは支配と被支配の関係が発生しない平等な社会だった。満州と韓半島を基盤に生活していた韓国民族は、新石器時代から青銅器時代を経て様々な系列の移住民が集まり民族の基礎を築いた。


青銅器文化に基づいて成立した古朝鮮
紀元前2000年頃から紀元前1500年頃に満州地域から青銅器文化が始まった。 青銅器時代には生産力が大きくなり、村の規模が拡大した。 その過程で階級が発生し、軍将が登場し、集団間の勢力差も生じた。 このような変化が遼寧と韓半島西北部地域に現れ、韓国史上初の国家である古朝鮮が成立した。

古朝鮮は政治的に優越した桓雄集団が様々な勢力と結合して成立し、「檀君王倹」という祭政一致の支配者が統治した。 古朝鮮は鉄器時代の紀元前4世紀頃、中国の燕と並ぶほどに成長し、その後父王と準王などの王が登場して王位を世襲した。 王の下には相、大夫、将軍などの官職が置かれた。 古朝鮮には8条の法があったが、このうち伝わる3つの条項から古朝鮮が個人の労働力と私有財産を重視していたことが分かる。

紀元前2世紀頃、中国から渡ってきた衛満が準王を追い出し、古朝鮮の王となった。 その後、古朝鮮は鉄器文化を本格的に取り入れ、中継貿易を通じて経済的に成長した。 これに脅威を感じた中国の漢が古朝鮮を侵略すると、古朝鮮は抗争の末に滅亡した(紀元前108)。

I-1.古代国家の支配体制_2

扶余の成長
紀元前5世紀頃から満州と韓半島地域では鉄器文化が成長した。 これによって農業生産力がさらに増加し、集団間の戦争が増加した。 古朝鮮の文化が広まるにつれて、周辺地域も急速に変化した。 特に古朝鮮の流民が韓半島の南に下り、この地域の文化発展に影響を与えた。 このような背景の中で満州と韓半島地域では鉄器文化に基づき扶余、高句麗、沃沮、濊、三韓など様々な国が成長した。

満州・松花江の平野地帯に位置する扶余は、1世紀頃から王号を使用し、王の下に加・使者などの統治勢力が存在した。 家畜の名にちなんだ馬加、牛加、猪加、狗加をはじめとする四加は四出道と呼ばれる地域を管掌し、独自の支配力を行使した。 彼らが率いた集団は、王の治めた中央とともに様々な部族の連盟を形成した。

沃沮と濊、三韓の成立
咸鏡道と江原道の海岸地域には沃沮と濊が成立した。 沃沮と濊には王がおらず、邑郡や三老と呼ばれた郡長が部族を治めた。

韓半島南部では馬韓、辰韓、弁韓の三韓が成立した。 三韓は鉄器文化を土台に成立した様々な小国の連合によって構成された。 各小国は臣智・邑借などの郡長が統治し、天君という祭祀長が小道で宗教儀礼を主管した。 このように三韓は政治と宗教が分離した社会であった。 鉄器文化の発達に伴い、三韓の社会では変化が現れた。 馬韓地域は百済に統合され、辰韓地域では斯盧国が新羅に発展した。 そして弁韓地域では伽耶連盟が成長した。


扶余
国には王がおり、家畜の名前で官名を定め、馬加、牛加、猪加、狗加、大使・大使者・使者がいる。
道を主管した。 その中でも大きい所は数千家に達し、小さい所は数百
『三国志』「魏書東夷伝」

東濊
(濊には)大君長がなく、漢代以来、侯・邑・郡・三老の官職があり下戸を統治した。 その国の年寄りたちは昔から自らを「(高)句麗のような種族だ」と言ってきた。 風俗は大高句麗と同じだが、衣服は異なる。
『三国志』「魏書東夷伝」

三韓
(馬韓には)それぞれ長がいて勢力が強大な人は自ら神といい、その次は邑借と言った。 霊を信じるため、国邑にそれぞれ一人ずつ立て、天神の祭祀を執り行うが、これを天君と呼ぶ。
『三国志』「魏書東夷伝」


三国と伽耶の成立 
高句麗は扶余から来た移住民と鴨緑江流域の土次民が連合して卒本地域に建国した。 山間地帯に位置する高句麗は周辺の小国を征服し平野地帯に進出した。 高句麗は5つの部が連盟して発展し、各部はそれぞれの住民と領域を治めた。 支配層で王と様々な家があり、彼らはそれぞれ使者・皂衣・先人などの官吏を従えた。

百済は扶余と高句麗から来た移住民と漢江流域の土着勢力が連合して成立した。 河南慰礼城を首都にし、馬韓の小国を制圧して成長した。新羅は慶州一帯の6部連盟に基づき、辰韓の小国を服属させた。 新羅では4世紀前半まで朴・石・金氏が王位を輩出し、王号も居西干、次次雄に次いで尼叱今を称するなど、王の地位はそれほど高くなかった。

三国初期には最も強力な部の代表が王となり、外交権と軍事権を行使した。 しかし、それぞれの部は王の直接統治を受けず、自治的に部を運営した。 国家の重大事は王と部の代表が合意して決定した。 このような事実は、高句麗の諸加会議をはじめとする三国の会議体が運営された方式を通じて確認できる。

弁韓地域ではいくつかの小国が伽耶連盟を作り、3世紀頃には金海の金官伽耶が連盟を主導した。 金官伽耶は5世紀頃、新羅を支援した高句麗軍の攻撃により衰退し、その後高霊の大伽耶が連盟を率いた。 伽耶連盟は豊富な鉄を基盤に成長した。 しかし、各小国が独自の権力を維持し支配力を一つにまとめることはできず、百済と新羅の圧力により中央集権国家へと成長できなかった。



<管理人の独り言>
今回はまず、
I. 前近代韓国史の理解
 1.古代国家の支配体制
  ①連盟体に基づく国家が成長する
という所を翻訳してみました。

先日、皆さんからコメントを頂き拝見したところ、中学校の歴史教科書ではなく、高校で使われている韓国史の教科書の方がいいかなと思い、遅くなりましたが翻訳してみました。こんな感じで時間がある時に翻訳していこうと思います。順不同で、次は「II.近代国民国家樹立運動」の「3.近代国民国家樹立のための努力」からやろうかな。

念のため、教科書の発行年等はコチラの通り
発行年

-愚痴-
教科書の装丁なんですけど、これ、何。教科書でこんなんなったの初めて。

表紙ウラ



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