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ネイバーから、【 慶尚北道議会のパク・ヨンソン道議員「対馬は明らかに大韓民国の領土」 】という記事の翻訳


<管理人の独り言>
韓国人コメントは元々少なかったです。


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慶尚北道議会のパク・ヨンソン道議員「対馬は明らかに大韓民国の領土」

ザ・ファクト
2021.01.26 14:04


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26日、慶尚北道(キョンサンプクト)議会のパク・ヨンソン道議員が、「対馬は明らかに大韓民国の領土」と明らかにした。 さらに、「独島と対馬について地を我が領土として取り戻すためには、対馬の実質回復に向けた国民運動の火種を慶尚北道が先頭に立って蘇らせなければならない」と話している。慶尚北道議会提供



対馬の失地回復のための国民運動の展開と共に領土守護共同協議体の構成提案

慶尚北道議会のパク・ヨンソン道議員が、  対馬は明らかに大韓民国の領土だと明らかにした。

さらに、「独島と対馬の地を我が領土として取り戻すためには、対馬の実質回復に向けた国民運動の火種を慶尚北道が先頭に立って蘇らせなければならない」と注文した。

この発言が、今後の慶尚北道の対応策によって「湯呑茶碗のなかの台風」(*)に転落するか、外交的波紋につながり、国家的反響を起こすかが注目される。

26日パク・ヨンソン議員は、第321回、慶尚北道議会臨時会での5分の発言を通じて「このような歴史的事実にもかかわらず、政府と慶尚北道は、周辺国の歴史歪曲と日本の継続した独島侵奪の策動に対して、受け身的で防御的な対応だけをしている」と苦言を呈した。

この日、パク議員は「慶尚北道は日本の歴史歪曲に対し、感情的かつ一過性の対応から脱却し、根本的な対策を先にまとめるべきだ」と指示した。

二番目に独島と対馬の失地回復に向けて、慶尚北道は、他の道と協力し「領土守護の協同協議体」を構成する案を提案した。

第三に、歴史歪曲に強硬に対応するためには、現在と過去の戦犯企業を全数調査して公表し、不買運動を強力に推進しなければならないと述べた。

これは、日本がこれまで歴史を歪曲してまで、あれほど独島に対する侵奪の野心を捨てきれない理由は、我々がいつか対馬返還を主張することに備え、独島を紛争地域化し、対馬の真実を覆い隠すための策略を駆使したもので、これに巻き込まれてはならない」と警告した。

同日、パク議員は対馬が韓国の領土として記録された歴史文献は「車庫にも溢れている」と主張した。 三国志の「魏志倭人伝」にも明示されていると例を挙げた。 また1832年の国際法上公認地図である「三国接壌之図」1865年の米国ペリー提督の日本地図、1924年の朝鮮総督府文書である「三国通覧図説」など厳然と明示されていると強調した。

慶尚北道議会パク・ヨンソン議員は、「日本の亡国的な主張に反論する体系的論理を開発して、実践的で内部的な準備と独島・対馬に関する教育を学生たちに実施しよう」と声を高めた。


(*)湯呑茶碗の中の台風:台風のように大きな被害や影響をもたらすだろう、という予想をしていたが、小さな影響に終わることをいう。


ソース
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=629&aid=0000064760
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=003&aid=0010313751


01. 韓国人
この方だけを残して、残りの議員たちは辞任しろ。
共感3    非共感0


02. 韓国人
口では何とでも言える。 力がないと。 原子力潜水艦を5隻建造しよう。 無駄に税金を使わずに...
共感2    非共感0


03. 韓国人
なぜだか昔から韓国の領土だと信じてました!!!私たちと単語も似ているし!!!


04. 韓国人
日本とひとつに合併、日本列島全体が韓国の地。また韓日併合しよう。


05. 韓国人
全羅道は中国の地。キムチは韓国元祖。


06. 韓国人
中国キムチ事件でもはっきり言って下さい。 日本にだけ厳しくせずに。


<管理人の独り言>
2019年9月22日 の山陰中央新報 「談論風発」から。

対馬

奇怪な対馬韓国領説

対馬は韓国領と主張する 奇怪な運動がある。今年6月9日に韓国慶尚南道の 昌原市で開催された第4回 「対馬の日」記念式で主催者は、「対馬は数多くの歴史資料で朝鮮の領土と記録されている地」であり、「今後も対島が我が地であることを確認する多くの記念事業を推進して市民の歴史意識鼓吹に最善を尽くす」と述べた(6月2日付「ニュース慶南」電子版)。

1948年8月に韓国政府が成立した時、李承晩大統領は声明で対馬「返還」変換を求めた。日本人の衝撃は大きく、「同島の住民が動揺し、荷物をまとめて逃げ帰る傾向が顕著であった」という(同年10月22日付「連絡調整中央委員会第35回幹事会議事趣旨」)。この動きに対応して米国は50年3月に報告書「韓国の最近の対馬要求」を作成した。報告書には、朝鮮が対馬を管理してきた事実はなく、一方、「日本が少なくとも350年間完全で有効な管理を対馬で行ってきたことは疑いの余地はない」と記されていた。

51年7月9日、韓国は対馬を自国領とすることを講和条約に記すよう米国に要求したが拒絶され、同月19日に撤回した。同年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄する朝鮮に属する島に対馬は入らず、対馬は日本領に残された。対馬は韓国領という主張に根拠はない。なお、韓国は対馬への要求を撤回すると同時に、今度は竹島が朝鮮領であることを講和条約に記すことを米国に要求した。米国がこの要求を「ラスク書簡」で拒否したことはよく知られている。

李承晩よりも前に対馬を要求したのが、日本の朝鮮統治終了2ヶ月後の45年10月15日付の鄭文基(チョン・ムンギ)による「対馬島(デマド)の朝鮮所属と東洋平和の永続性」である。そこでは、倭寇掃討を目的とした1419年の李氏朝鮮の対馬攻撃など「根拠」が述べられ、朝鮮沿岸の漁業資源を枯渇させる日本人漁業者の根拠地であって、日本の朝鮮にたいする「陰謀策動」の基地である対馬の「奪還」が主張された。

鄭文基は1898年に全羅南道順天に生まれ、旧制松山高校を経て東京帝国大学農学部水産学科で学び、卒業後は朝鮮総督府に入り水産試験場などで勤務した。植民地朝鮮のエリートであった。

1977年12月10日付「韓国日報」掲載の回顧録によれば、45年9月発表の「降伏後に於ける米国の初期の対日方針」を新聞で読んだ鄭文基は、日本の領土は北海道、本州、四国、九州に局限され、対馬はそこから抜け落ちると判断したという。しかし、対馬の帰属を決めたのはサンフランシスコ平和条約であり、彼の判断は誤りである。

77年12月11,13日付「韓国日報」で鄭文基は、対馬「奪還」の訴えに当時の有力者たちはことごとく無関心だった、48年の李承晩大統領の生命もあまりに遅すぎたと不満を記した。一方で、「我々が対馬島の領有権を主張して日本が独島問題を提起することができないよう、最小限の牽制の口実となる」と、対馬返還要求を意義付けた。2005年の馬山市(現在の昌原市)による「対馬の日」制定は、島根県の「竹島の日」条例制定に反発したものであった。日本の竹島問題提起への件政策という鄭文基の意義付けは現在も生きている。

鄭文基の対馬「奪還」要求については「いささか感情的とも思われるような対日強硬策」(竹国友康『ハモの旅、メンタイの夢-日韓さかな交流史一』)という評価があるが、私は彼なりの計算を感じる。そして、最初は李承晩でさえ「上の空」で「何の反応もなかった」と鄭文基が嘆いた荒唐無稽な対馬要求が、あたかも根拠があるかのように韓国人の間にいつの間にか定着することを、警戒する必要がある。

ふじい・けんじ
島根県吉賀町出身。同県竹島問題研究会研究委員。最近の論考に「対日講和条約と竹島」(『島嶼(とうしょ)研究ジャーナル』8巻2号)がある。

山陰中央新報 「談論風発」2019年9月22日 掲載

ほんと対馬「奪還」を叫ぶ人が増えてきました。韓国人自身も竹島に対する当てつけだと言ってたのに。


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