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ネイバーから、【 咸平・錦山里にある日本式古墳のミステリー 】という記事の翻訳


<管理人の独り言>
※記録・資料用の過去記事(2019.03.24)翻訳です。 ネチズンのコメントはありません。
ネチズンのコメントはあったのですが、本文が長すぎて力尽きたのと、わざわざ翻訳するほどでもないアホコメントが並んでたので、翻訳しませんでした。あ、アホコメントはいつもか。
※長いです。興味がある方はどうぞ....


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咸平・錦山里にある日本式古墳のミステリー

ハンギョレ
記事入力 2019.03.24 09:30   最終修正 2019.03.24 09:36



【土曜版】クォン・オヨンの21世紀古代史
⑩朝鮮半島の日本式遺跡

長さ60mの王陵級咸平古墳
日本式の土の造形物、土器が発見される
栄山江流域の前方後円墳15基も
古代日本に由来するのは明らか

日本に定着した朝鮮半島「渡来人」
列島文明・社会発展に大きな影響
倭人も百済・伽耶に定着

朝鮮半島と日本の活発な交流の証拠

相手を征服・支配と解釈してはいけない

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咸平・金山里古墳の葺石が露出している様子。 墓の外側にタイルのように貼り付けられた石を意味する葺石文化は、朝鮮半島のものではなく、日本列島の風習だった。クォン・オヨン教授提供


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一辺の長さが60メートルに達する全羅南道咸平(チョルラナムド・ハムピョン)金山里古墳の発掘。 金山里古墳からは、日本式埴輪に似た土製品や土器などが多く出土した。 全南文化財研究院の説明資料


外見の違いにもかかわらず、全ての人類はホモ・サピエンスに属する。 ホモ・サピエンスの共通的で普遍的な心理状態は、空間的な距離を越えて、地球のあちこちで類似する遺跡と伝承を残した。 愛する妻を求めてハデスが統治する地下世界に入ったトラキアのオルフェウスが、日本では伊邪那岐命として現れる。 『日本書紀』神代編(神々の物語)と『古事記』に登場する伊邪那岐命(以下「伊邪那岐」)とその妹であり夫人の伊邪那美命(いざなみのみこと、以下「伊邪那美」)は天地創造の主役である。 2人は日本列島と山川草木、太陽と月、風と海を生んだが、最後に火の神を生んだ伊邪那美は、つい火傷で死んでしまう。 伊邪那岐は愛する妻を探して黄泉に行き、ついに彼女に会うことになる。 伊邪那美は夫に「なぜこんなに遅く来たのか」と責め、自分はすでに「黄泉の食べ物」を食べており、もう横になって休もうとするので、自分の姿を見るなと言う。 しかし、伊邪那岐は言うことを聞かず、松明を持ち上げ、伊邪那美の姿を見るようになるが、すでに愛する妻の顔は腐りきって、蛆虫が出るほどだった。 驚いた伊邪那岐は引き返そうとし、伊邪那美は自分の言うことを聞かず、自分を恥ずかしくさせた夫を恨み、彼を追いかけた。 長い追撃戦の末、伊邪那岐はやっと黄泉国から抜け出すことができた。

この説話は横穴式石室(横穴式石室墓)が導入され、追加葬を行う過程で、すでに死亡し墓室に安置されている遺体を見た親戚の喜びと恐怖を反映している。 伊邪那岐が地下世界の黄泉に下りていく過程は、地下に設けられた横穴式の石室に入ることを象徴し、伊邪那岐が逃げていく過程は長い通路を通って外に出ることを象徴する。 真っ暗な石室の中で腐敗した遺体を見た後、それを後にして外に出る過程では、よほど度胸のある者でも、背筋が寒くなっただろう。 「黄泉の食べ物を食べたから、すでに黄泉の人になっていて出られない」という伊邪那美の言葉は、あの世の食べ物を食べれば、この世に帰れないという黄泉の観念を反映している。

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日本の奈良にある岩屋山古墳の墓室に続く長い通路。 墓を作った後、家族が死んだら門を開けて再び墓室に埋める方式で、畿内型石室と呼ばれる。 この畿内型石室は百済に由来する。クォン・オヨン教授提供


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全羅南道咸平、金山里古墳から出土した人型の土製品。クォン・オヨン教授提供



中国 → 朝鮮半島 → 日本へと広がった畿内型石室

5世紀後半から日本列島の心臓部に当たる畿内(大阪、奈良、京都)地域には新しい墓が登場した。 遺体を上から下に入れて一度埋葬すればそれで終了する従来の葬法から、削った石で部屋を作り夫婦や親族など複数の人を埋葬する方式に変化した。 畿内型石室(石室)と呼ばれる新しい墓制が導入されたのである。 このような墓では小型炊事容器(釜、甑、丸型で大ぶりの陶器鉢、かまどなど)と指輪、腕輪、かんざしなど貴金属製の装身具を入れる風習がよく確認される。

従来の日本学界の立場は、畿内型石室は百済の影響だが、貴金属製装身具や炊事容器を埋める風習は、中国の影響と見なすことだった。 炊事容器の副葬は、墓の中で炊事が行われたことを象徴するものであり、これは黄泉国の食べ物を食べることで、この世との縁が断絶するという意味として解釈された。 しかし、百済の墓からは炊事用器と貴金属製装身具が一緒に出てくる事がなかったため、畿内型石室の起源地として百済を認めない雰囲気だったのである。

しかし最近、京畿道河南市甘一洞(キョンギド・ハナムシ・カムイルドン)で60基を超える百済の石室墳が発見され、その中から金と銀で作られた各種装身具、そして土で作られた小型炊事用器が多く発見され、この問題は完全に解決された。 日本の畿内型石室と葬法の源流が百済の古墳にあったことが証明されたのである。

だが、問題は簡単ではない。 墓の中に炊事容器を入れる風習は、北東アジアに広く広がっていたからだ。 新羅と高句麗はもちろん、楽浪、ひいては漢の墓においても数多くの例が確認されている。 黄泉国の思想そのものが中国で作られ、これと関連した死神、葬式の風習が朝鮮半島と日本列島に広まったのだ。 このような解釈に失望する必要はない。 我々は韓国文化の独創性を強調しすぎ、最も古い歴史を持つ最古、最も優れた最高、最も大きい最大という事に拘る。 朝鮮半島から日本列島に伝来した文化は特筆大書しながらも、その文化の源泉が中国をはじめとする外部だったという事実の認定には非常に吝嗇だ。 外部の影響を認めた瞬間、事大主義者と非難される。

2018年12月26日、古代韓日関係史研究において非常に重要な行事が開かれた。 全羅南道咸平市錦山里(チョルラナムド・ハムピョンシ・クムサンリ)所在の、一辺の長さ60メートル級の大型墓の発掘調査の成果を紹介する場だった。 この規模なら高句麗、百済、新羅、伽耶を合わせても王陵級の規模だ。 新羅の皇南大塚北墳と南墳はそれぞれ直径70m程度、高句麗の将軍塚は一辺30m、太王陵63m、百済の石村洞3号墳は50m程度だ。 墓の規模と国家権力の強度が比例するわけではないため、規模だけで比較するのは無理だが、栄山江流域で最大級の金山里の古墳は、三国の王陵と比べても遜色ない。

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朝鮮半島南部出身の古代陶工たちが大阪で作り始めた須恵器。 須恵器は鉄のように堅いという意味で付けられた名前だ。クォン・オヨン教授提供


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栄山江流域移住民が定着した日本大阪の蔀屋北で発掘された馬の全身骨。 日本にはもともと馬がいなかった。 百済から馬が届いたという文献記事は、この発掘で事実として証明された。クォン・オヨン教授提供


この墓は外側に石をタイルのように被せているが、葺石は朝鮮半島では見当たらず、日本列島で発達した。 墓の外部には土製の人物、鶏、馬型の形状が数点出土した。 いくら否定したくても日本列島の古墳の外部に建てられた埴輪にそっくりだ。 発見された土器の中には日本で生産されたと思われる須恵器(百済と伽耶の土器の影響を受けて作った灰色の丈夫な土器)もあり、中国南朝で生産された陶器と磁器も数点発見された。

ところが、遺跡調査の成果を紹介する場がとても気まずかった。 朝鮮半島西南部で日本色の濃い墓と遺物が出てきたのだから、何と説明するだろうか? 発掘担当者は「6世紀前半まで百済に吸収されず、独自性を維持していた馬韓勢力の活発な国際交流の痕跡」とし、一種の安全装置としてこの調査とは全く無関係な「任那日本府説を証明する証拠は全く無い」と締めくくった。 担当者の困惑した表情が放送でそのまま滲み出ており、専門家のコメントもなかった。 誰が栄山江流域で日本色の濃い古墳が出たと公に発言して、石を投げられようとするだろうか。

2012年に順天雲平里で典型的な大伽耶古墳が発掘調査された時もメディアが選んだタイトルは「任那日本府説に反駁する遺物が大挙出土」だった。 実際は「蟾津江流域まで大伽耶古墳文化拡散の証拠発見」程度が正解だろう。

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日本宮崎県の生目5号前方後円墳の外面が葺石で覆われている姿。 クォン・オヨン教授提供



百済の東城王を護衛した倭人傭兵

韓国社会は、植民史学の弊害によって萎縮しすぎ、一方では激昂している。 そのため伽耶史や韓日関係史研究の最終目標はいつでも「任那日本府説の克服」である。 このようなムードでは、朝鮮半島で発見される倭系遺跡と遺物に対する調査と解釈が極度に制限され、資料の公開や研究を憚るムードすら形成されるようだ。 これまで栄山江流域で発掘調査された前方後円墳のうち、まだ公式的に報告されていないものは半分程度ある。

韓国社会で見られる古代韓日関係史に対する熱い関心は、韓国近現代史の桎梏を考慮すれば当然のことでもあり、学界の強い後援でもある。 しかし、結論をあらかじめ決めておいて、すべての解釈を一つの方向に持っていく傾向は非理性的だ。 伽耶史を大和政権の朝鮮半島南部支配の歴史と同一視する皇国史観を許すことができないように、日本古代史を韓国人の日本列島征服史と片付ける論理も成立しない。 朝鮮半島系移住民が日本列島に定着した痕跡と、その意味では比較にならないが、倭人が朝鮮半島のあちこちで活動していたことも事実だ。 彼らは新羅を侵略し、時には百済の傭兵として高句麗との戦闘に動員された。 百済の東城王を護衛して熊津に入ってきた倭人もいて、東北アジアの海上交流に参加し、朝鮮半島と日本列島を行き来した商人と船員もいた。 中には、死んで朝鮮半島に埋められたケースも珍しくなかった。

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栄山江流域には5世紀末から6世紀前半に造られた日本式前方後円墳が15基残っている。 逆に、日本には百済が起源の畿内型石室古墳をはじめ、朝鮮半島から渡った渡来人の痕跡があちこちにある。 このような遺跡と遺物は、古代朝鮮半島と日本列島の交流が活発だったという証拠にすぎず、互いに相手を征服し支配したという根拠ではない。 写真は光州市光山区月渓洞の前方後円古墳 大韓文化財研究院提供



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光州月渓洞(クァンジュ・ウォルゲドン)前方後円墳から出た埴輪形土製品(両側の横)と木製品(中央)。クォン・オヨン教授提供


前方は長方形、後方は円形の前方後円墳と呼ばれる独特な外観の古墳は、日本の奈良地域で3世紀中頃から現れ、6世紀末までの数百年間発展した。 これまで日本列島で発見された前方後円墳の数は5千基に達する。 栄山江流域で前方後円墳が発見された事実は明らかなファクトで、その数は15基ほど、時期は5世紀末~6世紀前半頃に限られる。 それでは常識的に判断すると、朝鮮半島の前方後円墳が日本の前方後円墳の根だと見ることはできない。 朝鮮半島が発生地だと強弁する必要もない。 日本から由来した前方後円墳がなぜ朝鮮半島西南部に残っているのか、その国際的な契機は何なのか、その中に埋められている人物の正体は誰なのか、一つ一つ解かなければならない。 そのためには、朝鮮半島だけでなく、日本列島を含む北東アジアの古墳文化、政治・外交的状況について総合的に考慮するのが正常だ。

このような事実を発掘し研究することは自由でなければならないが、韓国の現実はそうではない。 火山学と考古学の学際間の研究によって瞬時に起こった日本の群馬地域における一族の悲劇を描こうとする3月9日分の連載も、筆者の意図とは裏腹に「百済の先進技術が未開な日本列島を悟らせた」事件程度に片付けられ、これに歓呼することが我々の冷静な現状である。

古代の韓日関係史の実情は何だろうか。 一つ明らかなことは、それが古代韓国人の日本列島征服の歴史でもなく、大和朝廷の朝鮮半島南部支配の歴史でもないということだ。 極端な主張は実状をごまかすものだ。 韓国の古代国家と日本列島の諸政治体はそれぞれ自国、あるいは自分の集団の利益のために海をまたいで活動した。 その利益は政治的あるいは外交的な利益かもしれないし、経済的な利益かもしれない。 日本列島に移住・定着した朝鮮半島系移住民の数は莫大であり、彼らが日本の文明と社会発展に多大な影響を及ぼしたことは明らかである。 日本の皇室に朝鮮半島系住民の血が混じっていることも事実であり、有力な支配集団の中に朝鮮半島から移住した住民が中心になっていることが多いのも事実である。

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大阪府枚方市にある百済王神社。百済滅亡後に日本に定着した百済王族の精神的支柱だ。 クォン・オヨン教授提供


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日本の奈良県東大寺にある王室の遺物倉庫である正倉院には、新羅で作られたり、新羅を経由して日本に入ったりした多くの遺物が保管されている。クォン・オヨン教授提供



旬を過ぎた「任那日本府説打倒」

日本の学界で渡来人と呼ばれる彼らが、日本の武将たちによって奴隷狩りされるように捕虜として捕らえられたり、「天皇」の徳を慕って自発的に帰化したという過去の見解はすでに否定されている。 戦争捕虜として捕らえられた場合もなくはないが、朝鮮半島の不安定な情勢を避けて移住したり、先進技術と文化を渇望する日本の支配層の懇願によって移住したケースがほとんどである。 特に、高句麗南下政策がもたらした475年の百済漢城陥落、663年の白江戦闘の敗北による百済復興運動の終末は、朝鮮半島南部の住民集団が群れをなして日本列島に定着する決定的な事件だった。 その結果、日本列島のあちこちで朝鮮半島系移住民と関連した地名、伝承、遺跡と遺物が数多く発見される。 その量は、朝鮮半島南部で発見された倭系遺跡や遺物の数百倍にのぼるだろう。

21世紀の古代韓日関係史研究は、朝鮮半島と日本列島を舞台に展開された数多くの集団の多様な形態の交流(戦争、婚姻、移住、交易)を巨視的な眼で説明するものでなければならない。 旬を過ぎた「任那日本府説の打倒」を叫んで満足するのではなく、日本列島のあちこちに残っている移住民の歴史をそのまま復元する作業に没頭しなければならない。 日本の地中から出土した朝鮮半島系移住民の数多くの痕跡が我々の手を待っている。

ソース
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=028&aid=0002447547


<管理人の独り言>
記事中間辺りではもっともらしいことを言いながら最後はやっぱりマウントをとってきますね。
朝鮮半島の前方後円墳について書かれた比較的最近の記事で、私はこの手の記事を韓国語で読んだ事が無かったのであちら側の考えを知るために翻訳したほぼ自分用の記事となってしまいました。。


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