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1992年に韓国政府が発表した「日帝下軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」の一部を翻訳


<管理人の独り言>
この中間報告書は当時の韓国外務部(現在の外交部)が作成したもので、2017年に新しく「日本軍慰安婦被害者問題に関する報告書」が発表されるまで、92年の中間報告書の内容が慰安婦問題の基となりました。

94ページに及ぶ報告書ですが、残念ながら原本と、報告書全てを手に入れることが出来ず、一部のみの翻訳です。韓国人にも探してもらったのですが、どうやら2017年に新しい報告書が公表されてから、以前の中間報告書は削除されたのではないか、ということでした。


-----2020.06.30 追記ここから-----
→その後、下記に保管されていることが分かりました
大韓民国行政安全部管轄の地方自治人材開発院図書館
http://lib.mois.go.kr/search/DetailView.ax?cid=5028
行政安全部別館:30116世宗特別自治市ハンヌリ大路411(梧津洞)
상세서지 정보
資料類型 :국내서단행본
書名/著者 :日帝下 軍隊慰安婦 實態調査 中間報告書 / 挺身隊問題實務對策班
団体著者 :정신대문제실무대책반(挺身隊問題実務対策班)
発行事項 :서울 : 挺身隊問題實務對策班, 1992
形態事項 :211 p. ; 26 cm.
一般注記2 :非売品
請求記号 :911.066 정582ㅇ(911.066 丁582オ)
※残念ながら、オンラインでの閲覧は不可でした。ソウルでの訪問先リストに追加しとこ。

※また、第2部:日帝下軍隊慰安婦の実態調査結果の原本画像も手に入りましたので時間があれば、翻訳してみます。

-----2020.06.30 追記ここまで-----


ですので、原本を手に入れる事が出来ず、ネットで拾ったPDFを翻訳しています。
ただ、内容は韓国で慰安婦問題を扱っているサイトで記載されているものと同一です。
複数のサイトで確認しましたが、一部だけ↓ソース
https://smilewith.tistory.com/3285
https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=karancoron&logNo=221269107552&proxyReferer=https:%2F%2Fwww.google.com%2F


中間報告書は、下記第1部~第5部で構成されていて、今回は第1部と第3部の翻訳になります。
第1部:挺身隊問題の現況
第2部:日帝下軍隊慰安婦の実態調査結果
第3部:軍隊慰安婦の証言例
第4部:日本政府発見文書
第5部:参考資料


第3部:軍隊慰安婦の証言例は、慰安婦の証言がこれから変遷する前、一番大元になったもので中々興味深いです。

※私は通訳でもなければ翻訳を生業にしている者ではありません。一般人ですので、翻訳に間違いがあるかもしれません。その点、ご理解の上、ご覧いただければと思います。



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挺身隊問題実務対策チーム、日帝下軍隊慰安婦の実態調査中間報告書、1992.7

目次
第1部:挺身隊問題の現況
1.これまでの経緯
2.韓国政府の真相究明努力
3.日本政府の真相究明努力
4.今後の対策

第2部:日帝下軍隊慰安婦の実態調査結果
1.軍隊慰安所の設置
2. 慰安婦募集
3.輸送方法
4.配置
5.慰安所の管理
6.移動
7.戦争末期の状況
8.連合軍による現地占領以後償還
9.結語

第3部:軍隊慰安婦の証言例

第4部:日本政府発見文書

第5部:参考資料


第1部:挺身隊問題の現況

1.これまでの経緯

韓国女性団体連合、韓国教会女性連合会など女性団体が中心となって89年末から挺身隊問題を提起。
と、これに対するマスコミの関心が高まった。 これと関連して、日本の参議院予算委員会(90.06.06 参議院予算委員会)で本岡昭次社会党議員が軍隊慰安婦の調査を日本政府側に要請したが、日本政府は「軍隊慰安婦は軍とは関係がなく、民間業者がしたこと」と答えた。

91.11.21元山口県労務報国会動員部長 吉田清治は、北海道新聞に自身の慰安婦徴用関与事実を述懐しており、91.11.28、NHK TVの慰安婦問題特別補佐官放映の時、渡辺日本外務省報道官は「軍の関与問題を否定するわけではないが、調査の手がかりとなる法的資料が見つからず、公的な立場を明らかにすることは難しい」。

91.12.6には、元軍部隊慰安婦、金学順ハルモニなど3人が日本政府を相手に補償を要求する訴訟を提起し、与野党のマスコミがこれを大々的に報道。これに関連して日本の官房長官は91.12.6の記者会見で「政府関係機関が関与したという資料が見つからず、対処が困難だ。」との立場を表明した。

当時、宮澤喜一日本総理の訪韓が92年1月に予定されている中、韓日両国のマスコミでは挺身隊問題が連日大きく報道され、日本総理の訪韓を前に韓国国民の感情的問題へと飛び火した。

韓国政府は挺身隊問題を公式に提起する方針を決め、12月7日に東京で開催された韓日亜洲局長会議の際、日本政府に対し、挺身隊問題に関する徹底した真相究明及び適切な措置を講じるよう促して以来、外交チャンネルを通じて、この問題の深刻さと国民の感情を調和させ、日本政府がこの問題を回避するのではなく、過去の歴史を正しく直視し、明るい未来の韓日関係を構築していくという観点から、まずは徹底した真相究明に取り組むことを強く求めた。

日本政府は91.12.12 韓国政府の要請により、内閣官房駐在関係省庁会議において、政府関与の有無等、関連事柄の調査を指示した。

このような状況下で、韓国の国会でも91.12.13 挺身隊問題に対する請願審査が扱われ、挺身隊問題対策協議会代表の参考人供述や元従軍慰安婦の証言があり、これと関連した質疑及び答弁が行われた。

この頃、韓国政府は米軍、日本、イギリス、オランダなど10カ国の海外駐在公館に関連資料を調査するように指示した。 これと関連し、駐米韓国大使館は、米国国立文書館で日本軍が慰安婦募集・輸送・管理などに介入した事実を立証する文書を発見した。 同文書は、インド・ビルマ戦線の米戦時情報局心理戦チームがビルマのミートキーで、日本軍が敗走し捕らえられた韓国人慰安婦20人と慰安所の管理者2人を尋問して作成した調書である。外務部は当文書のコピーを日本側に伝え、調査の参考にした。

一方、中央大学の吉見義明教授(日本現代史専攻)は、自分が過去に日本防衛庁防衛研究所で見た記憶があった慰安婦関連の日本軍の通達・電報・指示専門などを再び見つけたが、92.1.11 同枠組み文書の内容の一部が朝日新聞に報じられた。 この文書は、日本軍が慰安所設置、慰安婦募集を監督・統制下した事を立証するものだった。

日本政府は、上記のような証拠資料が現れたことから、92.1.13 加藤官房長官が談話を発表し、日本軍の関与を初めて公式に認め、今後、関係省庁の資料調査を徹底する方針を明らかにした。 これは、これまで日本政府が挺身隊問題の存在を否定し、又は民間業者がした事としながら政府の関与を否認してきた点に鑑み、挺身隊問題の徹底した真相究明のための重要な契機となったといえる。

※加藤官房長官談話
いわゆる従軍慰安婦問題に旧日本軍が関与したと考えられることを示す資料が、防衛庁で発見されたことをよく存じておりますが、この事実を厳粛に受け止めたいと思います。

いわゆる従軍慰安婦の募集及び慰安所の経営などに旧日本軍が何らかの形で関与したことを否定できないと考え、日本政府は従軍慰安婦として筆舌に尽くしがたい苦痛を強いられた人たちについて、心から謝罪と反省の気持ちをお知らせたいと思います。

日本政府としては、このような過ちを繰り返してはいけないという深い反省と決意に基づき、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい韓日関係の構築に努めていきたいと考えています。

宮沢総理訪韓の際、総理から本件関連の表明があるものと考えており、補償問題は裁判訴訟が起こされていますので、司法府の判断を見て対処していきたいと思います。

一方、92.1.17 宮沢日本総理の訪韓時に開催された韓日首脳会談で、盧泰愚大統領は挺身隊問題など過去史問題に対して日本政府がより積極的に真相を究明し、その結果に応じて相応の措置を取るよう要請し、これに対して宮沢総理は過去の日本の行為に対して心から反省と謝罪をする意思を表明し、一日も早く真相を究明して適切な措置を取っていくことを約束した。 また、宮沢首相は同日午後、国会での演説で、軍隊慰安婦問題について謝罪と反省の意を表明した。


※宮沢総理国会演説

...このような重要なパートナーシップの一環として、我々は何よりも両国間の信頼関係を確固たるものにしなければなりません。 我が国と貴国との関係で忘れてはならないことは、数千年にわたる交流の中で、歴史上の一時期、我が国が加害者であり、貴国が被害者だったということです。これまで朝鮮半島の皆様が我が国の行為により、耐え難い苦痛と悲しみを体験されたことについて、ここに改めて心から反省の意と謝罪の気持ちを表明いたします。
 
最近では、いわゆる従軍慰安婦問題が取り上げられているところ、このようなものは本当に心の痛い事として大変申し訳なく思っています。
さらに、私は第二次世界大戦を生きていた一人の人間として、私たちの世代の過ちが二度と繰り返さないよう、21世紀を担当する次の世代に歴史を正しく伝えなければならないと感じています。 これは、私を含めたわが世代の責任です。 我が国はこれまでこうした関係に対する正しい理解の普及に努めてきており、今後もこのような努力を続けていく所存です。 私は過去の事実を直視する勇気と、被害にあった人々の感情を理解し、そして二度とこのような過ちを繰り返さないようにする警戒心を、国民、特に青少年に培っていく決意を持っています。


2.韓国政府の真相究明努力

韓国政府は今年1.24から挺身隊問題実務対策班(外務部亜州局長を班長とし、17省庁の関係課長で構成)を設置し、これまで年1回の定期会議及び随時会議を開催し、挺身隊問題に関する徹底した真相究明と関連対策などについて協議してきた。

韓国政府は、挺身隊実務対策班を暫定的に今年末まで延長運営し、同問題に関する諸般事項を継続して協議することとし、6月末までの推進現況を7.3発表している。

韓国政府は、まず徹底した真相究明に力点を置いて、日本政府に資料の調査を要請する一方、国内的にも各省庁内の文書資料を調査した。

外務部は主に第二次世界大戦時の連合軍側国家に駐在する海外公館と東南アジア各国駐在海外公館に駐在国の文書資料を調査するように指示し、各省庁はそれぞれ保管している関連文書資料を調査した。

一方、教育部は日帝時、小中高等学校の学籍簿を調べたところ、教育部が現在保管している学籍簿のみを対象に調査した結果、小学校勤労挺身隊が244人、高校勤労挺身隊が1人で合計245名だった。


また、政府は挺身隊問題事務の対策班会議で、設けられた指針をもとに内務部と大韓赤十字社を通じて92.2.25~6.25間の挺身隊被害者申告を受け付けた結果、計390件で、二重勤労挺身隊は235人、軍隊慰安婦は155人だが、現在、生存している場合は勤労挺身隊が139人、旧慰安婦が74人だった。

これは事案の性格上、被害当事者の大半が死亡または生存していても通報を忌避したため、通報の数が少なくなったものだ。 これと関連して、韓国政府は申告された内容については個人の秘密を徹底的に保護するようにし、今後挺身隊問題対策作りの参考にする予定だ。

韓国では勤労挺身隊と軍隊慰安婦が混用されて一般的に挺身隊として通っているが、勤労挺身隊と軍隊慰安婦は概念を区分して使用する必要がある。

勤労挺身隊は日本が太平洋戦争遂行によって、深刻な労働力不足を経験することになり、女性人材までも韓国内或いは日本の軍需工場などに動員したことにより、このような労働挺身隊動員の趣旨は基本的に軍隊慰安婦調達とは性格が違う。

ただ、女子勤労挺身隊に動員された人のうち一部が軍隊慰安婦転換された場合もあったと推定される。


3.日本政府の真相究明努力

前にも触れたとおり、日本政府は挺身隊に係る証拠資料が出され、両国内世論が沸騰し始めると、91.12.12 内閣官房主宰で関係省庁会議と同じにし、この問題に関する資料を調査するよう指示した。
宮沢首相の訪韓前、加藤官房長官が、軍隊慰安婦問題について旧日本軍の関与を認めて謝罪したのに続き、宮沢首相訪韓の際、首脳会談及び国会演説で同一の趣旨の立場表明があった後、日本政府は、総理府外政審議室の主管の下、外務省、防衛庁、労働省、警察庁、厚生省、文部省の六つの関係府省が政府保管関連文書の発出作業に本格的に着手した。
日本政府は92.7.6 加藤官房長官の記者会見を通じて談話を発表し、これまでの調査結果を発表した。


※加藤官房長官談話要旨
国籍・出身地の如何を問わず、従軍慰安婦として筆舌に尽くせない苦痛を経験したすべての方々に改めて衷心から謝罪と反省の意を述べたい。 このような過ちは決して繰り返えさぬよう、深い反省と決意に立って平和国家の立場を堅持し、未来に向けた新しい日韓関係、その他アジア諸国、地域との関係構築に努めていきたい。

皆さんの話を聞いて本当に心を痛める。 苦しみと苦痛を味わった方々に対する気持ちをどのような形で表現できるか、各方面のあらゆる意見を聞きながら、誠意を持って検討していきたいと思う。

日本政府が発見した関連文書は計127件で、内容は主に慰安所の設置、慰安婦募集関係者の取り締まり、慰安施設の設置や増築、慰安所の経営や監督、慰安所慰安婦の衛生管理、慰安所関係者の身分証明書発給などで軍隊慰安婦問題に日本政府の関与があったことを公式に認定している。
※日本政府調査結果発表要旨


イ. 総括
○政府としては、昨年12月から、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与したかどうかについて、関係者資料が保管されている可能性がある省・庁で関連資料の調査を行ったところ、現在までの調査結果を次のように取り纏めて発表する。また、政府としては今後も新たな資料が見つかった場合には、これを公表していく。

ロ. 調査期間:91.12 ~ 92.06

ハ. 調査機関及び方法
○警察庁
-警察庁所管資料の調査
-各道・道・府県の本部長に対して調査依頼

○防衛庁
-防衛研究所をはじめ、陸上、海上、自衛隊、防衛大学校など防衛庁関係各機関で戦争史資料を中心に調査

○外務省
-外交史料館などで外交史料を中心に調査

○文部省
-各国・公・私立大学付属図書館に対する調査依頼
-各道・道・府県教育委員会および私立図書館に調査依頼

○厚生省
-復員(動員体制)関係資料および軍人、軍属名簿を中心に調査

○労働省
-本省関係部・局及び関係機関と地方職業安定機関で調査


ホ. 調査結果
1) 各省・庁別の発見資料件数(計127件)
○警察庁: 0件
○防衛庁:70件
○外務省:52件
○文部省: 1件
○厚生省: 4件
○労働省: 0件

2) 分野別発見資料件数
○慰安所設置関連資料:4件
○慰安所募集関係者取締関連資料:4件
○慰安施設の設置・増築関連資料:9件
○慰安所の経営・監督関連資料:35件
○慰安所、慰安婦の衛生管理関連資料:24件
○慰安所関係者の身分証明書等発行関連資料:28件
○その他(慰安所、慰安婦に関する技術等)34件

3)発見資料の主な記述
イ)慰安所の設置
○当時、戦線における軍占領地域内の日本軍による強姦等の不法行為により反日感情が助長され、治安回復が見られないことから軍人個人の行為を厳重に取締るとともに、速やかに慰安設備を設ける必要がある旨、通牒の配布があった。
○慰安施設は士気高揚、軍の綱紀の維持、犯罪性病予防等への影響が大きかったため、慰安に関する諸施設に留意する必要がある旨の教育指導参考資料の送付が軍部内部で行われた。

ロ)慰安婦募集関係者の取り締まり
○軍の威信を守り、社会問題を惹起させないように慰安婦募集関係者の人選を適切に行うようにする内容の通牒の配布が軍内部で行われた。


ハ)慰安施設の設置、増築
○慰安施設の設置、増築のため兵力を派兵すべき旨命令の通達があったこと。


ニ)慰安所の経営、監督
○各部隊慰安所の利用日時指定、利用料金、利用における注意事項を規定した「慰安所規定」が作成された。


ホ)慰安所、慰安婦の衛生管理
○「慰安所規定」に慰安所利用時に避妊器具を使うことを規定し、慰安婦の性病検査を軍医官などが定期的に行い、不健全な慰安婦は就業を禁止させる措置があったこと。


ヘ)慰安所関係者の身分証明書発行
○慰安所の開設のため渡航する者に対しては、軍の証明書により渡航させる必要がある旨文書の配布があったこと。


ト) その他
○業者が内陸で調達した女子が船舶で移送される予定であることを通知する電報の発送があったこと。

4)以上と共に従軍慰安婦問題に政府の関与があったという事が認められている。

韓国政府は日本政府の調査結果発表と関連し、92.7.6 外務部スポークスマンの論評で韓国政府の立場を表明している。 この論評において、韓国政府は日本政府の真相究明のための調査努力を評価し、日本政府の調査結果が挺身隊問題の全容を明らかにするに至っておらず、今後も日本政府の徹底した真相究明努力が継続されることを期待すると述べるとともに、日本政府の具体的かつ誠意ある措置を促した。


※日本政府の挺身隊問題調査結果発表に際しての外務省スポークスマン論評
日本政府は7.6 挺身隊問題に関するこれまでの調査結果を発表したが、我々は日本政府が挺身隊問題の真相究明のため、これまで総理府主管の下で関係省庁が誠意を持って関連文書を発掘し、調査してきた努力についてこれを評価する。

日本政府の調査結果については、今後関連文書が届き次第、綿密に検討することであるが、まずは、日本側の発表内容を検討したところによると、日本政府の調査結果が挺身隊問題の全容を明らかにするには至っておらず、今後も日本政府の徹底した真相究明への努力が継続されることを期待する。
日本政府は今回の調査結果の発表に際して軍隊慰安婦問題と関連した日本政府の関与を再三確認しながら、謝罪と反省の意を表明しているところ、私たちはこのような趣旨に照らして今後、日本政府の具体的かつ誠意ある措置が行われることを願う。

韓国政府は、日本政府から通知を受ける資料と、韓国政府がこれまで独自に調査してきた資料を総合整理し、報告書を作成、発表する予定だ。


4.今後の対策

挺身隊問題は大きく真相解明及び後続措置に大別できるが、何よりも重要なのは不幸な過去の歴史を正しく見極めるという意味で徹底した真相究明が行われることだと思う。

したがって、政府としては、徹底した真相究明に引き続き重点を置いて、日本の誠意ある調査を引き続き促していく。 特に、今回の日本政府調査の結果では、挺身隊問題の全容が明らかにされなかったため、例えば日本軍の慰安所設置の経緯、慰安所所在地の数字、慰安婦募集方法、募集対象、慰安婦の生活環境、慰安婦に対する報酬及び既払いの有無などを追加調査するように日本政府に要請している。

次に後続措置について、韓国政府は今後、日本が謝罪の意を十分に示す誠意ある措置を取るよう促すだろう。 挺身隊問題は過去、日本の植民地支配で最も暗かった部分であることに鑑み、日本がこのような歴史に対する正しい認識と反省の土台の上で、それ相応の報い措置を主導的に取ることこそ建設的な韓日関係の構築のために非常に重要だと思う。 その過程で、韓国政府としても自主的に何ができるかを検討するとともに、各界の意見を汲み上げながら徹底的に対処していく。
また、若い世代に暗かった過去に対する正しい認識を持って明るい未来の両国関係を築いていけるように日本の歴史教科書に正しく記述され、学校現場で教育するように努力していくつもりだ。

このような徹底した真相究明および後続措置の問題を協議するため、韓国政府は去る1.24に設置され、当初6月末まで運営することになっていた挺身隊実務対策班を暫定的に今年末まで延長運営することにした。



第3部:軍隊慰安婦の証言例

(ここに収録された内容は韓国政府が92.2.25~6.25間に受け付けた元従軍慰安婦の申告書に証言した内容のうち代表的な事例だけを抜粋して整理したものだ)


1.1938年8月、倭警の真鍮の器上納要求拒絶及び創氏改名反対の理由で家族が警察署に連行されたが、里長の勧めで愛国奉仕隊に志願すれば父親が釈放されることがあると自ら支援したが、その道として従軍慰安婦として連れて行かれ、慰めの場所(ジャカルタ)に連行されていく途中、広東で不妊手術を受けた。1946年3月頃、米軍の助けでジャカルタから船に乗って帰還した。


2.1943年1月、一人で留守番をしていた時、見知らぬ体の健康な男2人訪ねてきて「用事があるから無条件に出て来い」と強制的に連れていき、初めて降車した所が満州ハルビンで、そこから移動し龍光県で生活し続けた。到着した初日から1部屋(約2坪)に女性1人ずつ配置され、1日平均20人ほどの兵士を相手し、普段に韓国語を話したり、男性を受けることを拒否すると殴られたりした。 週ごとに性病検査を実施し、感染者は完治時まで治療し、治療後は再び同じ生活を続けた。


3.1943年9月頃、釜山鎮駅前で日本の警察に強制連行され、釜山鎮駅警察署から高速船で日本の大阪に移送された。 慰安婦生活が困難を感じて脱出をした容疑で逮捕されて殴られ、傷を治療されず、継続して慰安婦生活を強要された。


4.1940年9月、日本の巡査が来て出て来なければ家族全員を刺し殺すと脅迫し、大阪近辺に連行された後、3日後から1日平均5~7人の軍人を接待した。 (月1日の身体検査日を除く)


5.1942年3月、処女供出という名目で令状を受け、日本巡査に強制的に連行された。 数人を倉庫に閉じ込めて、1人ずつ呼び出し、小さな部屋に連れて行き、「言うことを聞かなければ殺してしまう」と、1日3回ほど性的暴行を強要された。


6.1938年4月、山で弟と山菜を採っていた時、日本軍2人と韓国人1人によって強制連行され、釜山に連れて行かれた後、船に乗って日本に渡った。 日本大阪で下りて3日経過した後、北海道で1年住み、その後また大阪で暮らした。 日本の収容生活の中でのひどい殴打と、言いようのない苦痛生活で精神分裂の症状がひどく、日本軍人により山に投げ捨てられた記憶がある。


7.1937年4月、日本人に砂糖工場(に就職)と言われ、だまされて現地に到着した後、日本軍慰安所であることが分かった。南洋群島パウラ島(?原文:빠 우라섬)で慰安婦としており、そこから色んな島へ連れて行かれもした。 捕虜(米軍捕虜収容所)となっていたが、解放後に帰還した。


8. 1941年2月頃、日本人女性1人と韓国人男性1人に釜山工場への就職勧誘を受け、本人以外約50人ほどの女性が移送された後、日本に強制徴発され、現地駐留日本軍部隊に滞在した。 日本軍部隊で1日12~15人の日本軍を相手にする(ただし、階級別の出入り時間と料金に差)慰安婦生活の後、軍部隊の移動によってシンガポールに移送された後、中国牡丹江と賓江省、南京、満洲など、部隊に配属されて日本での慰安婦と同じような慰安婦生活を強要されており、一体の営外の出入りは不可能なった。 現地では年齢層の高い人々は半分以上死亡している。


9. 1942年3月、約14世帯で釜山で女中生活をしている途中、遊びに出かけたが日本の巡査に捕まり、臨時拘置所(民間人の家)で約10日間拘置後、汽車で釜山から満州間島省まで行った後、軍部隊の外にある(軍人だけを相手にする)慰安所に引き渡され、解放時まで生活した。 慰安所には約20人程度の慰安婦がおり、1日約15から20人程度の軍人を相手しながら生活した。


10. 1939年12月、家で軍人20人余りに銃剣を持って脅かされ、強制的に軍用トラックに積まれ、栄山浦所在の倉庫にいる15人の女と羅州で15人の女と合流し、また列車で新義州、満州を経て天津駐屯日本軍日ノ丸部隊に到着した。 15人ずつ1組になって臨時で建てられた仮建物の何軒かに分かれ、仮建物の中にはかますで欄を作って1人ずつ入れられ恥辱的な生活の中、苦痛に耐え切れず、首を吊ったり逃げたりして銃で撃たれて死ぬ女性もいた。


11. 町の入り口で姉とヨモギを採っていたところ、日本の警察により強制的に車に乗せて連れて行かれ、警察が兵士たちの寝食や世話をする所に行くと言って、汽車で釜山に到着した。 広島近くの軍部隊で1日、日本軍10~15人程度を相手に、慰安婦生活をしており、お姉さんと少しの間一緒に慰安婦生活をしたりもした。(連行年度不詳)


12. 1942年11月、16歳の時、満州奉天鉄道の旅中、隣席の軍人に一方的に連れ去られた。軍兵営内の小屋に中国の女性たちを含めて約20人前後が収容されて慰安婦生活をした。


13. 1944年9月、紡織工場で夜間操業中に日本軍人15人ほどが武装して入り、「皆さんは今後日本で看護婦として働くようになる」と言うと、事前に機嫌を伺っていた人たちは皆逃亡し、残りの49人が連行された。 横浜と広島で軍部隊の慰安婦として10年間いながら1個所隊50人で編成し、10個所隊500人余りが生活した。 一日の仕事と生活は軍部隊の生活と全く同じで、個人の自由もなかった。49人中1人だけが生き残り、一部は病死し、一部は自殺もし、遺体を(申告者)本人が埋葬した。

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