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ハンギョレから、【 ニュース分析なぜ? ... 国際司法裁判所(ICJ)に提訴された独島 ... 1965年の密約の精神をMBが破ったと? 】という記事の翻訳


<管理人の独り言>
※記録・資料用の過去(2012.08.18)記事翻訳です。 ネチズンのコメントはありません。
李明博が竹島に上陸して8日後の記事です。

※韓国ウォッチャーの皆さまには周知の事実かとは思いますが、記録・資料用の記事ですのでご理解下さい。



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ニュース分析なぜ? ... 国際司法裁判所(ICJ)に提訴された独島 ... 1965年の密約の精神をMBが破ったと?

ハンギョレ
2012.08.18
길윤형



今では記憶すらぼーっとしている7年前のことだ。 その時も韓日関係は荒波の中をさまよっていた。 当時、日本の首相だった小泉純一郎は機会がある毎に、過去の侵略戦争の象徴である靖国神社を参拝しており、日本島根県は『竹島の日』条例を成立させて韓国人たちを憤らせた。 そこへ独島を自国の領土と表記した日本の防衛白書(2005年から)が発刊されたのに続き、歴史歪曲教科書の出版が相次ぎ、両国間の歴史問題は、爆発寸前まで至るようになる。

我慢できなくなった盧武鉉大統領は2006年4月25日『韓日関係に関する特別談話文』を発表する。 「尊敬する国民の皆様、独島は韓国の領土です」で始まるこの談話で盧大統領は韓国人たちに、独島は単なる『領土問題』ではなく、韓民族が、前世紀に経験した苦痛を象徴する『歴史問題』という点を強調する。 今は、国連(UN)の事務総長になった潘基文(バン・ギムン)外交通商部長官が「独島は韓日関係より上位概念」だと話していたのもその頃だ。


韓国が同意しなければいいが...

今も同じだろうが、その時も日本人の反応は冷淡だった。 それでも小泉首相は「日韓の友好関係を大前提に冷静に対処したい」と述べ、「(両国の首脳会談に)いつでも応じる意思がある」と一歩退く姿勢を見せた。 葛藤の素地を作ったのが日本であるうえ、歴史認識に基づいた韓国側の厳重な追及に特に反論する言葉もなかっただろう。

この10日に行われた李明博大統領の独島訪問に対する日本の反応は当時とは全く違う。 日本政府は直ちに、武藤正敏駐韓大使を本国に召還した。 それだけでは無い。 日本のマスコミは、韓国と首脳間シャトル外交の中止、韓日通貨スワップ協定の見直しに着手したというニュースを伝えている。 通貨危機にぜい弱な韓国政府が日本との通貨スワップ協定をどれほど苦労して作り拡大してきたのかを考えてみると、日本が李明博大統領の独島訪問と、"突拍子もない" 日王(謝罪)発言に、どれ程怒ったのかを推測することができる。

マスコミの反応も熱い。 <読売新聞>は12日付の社説で、「領土紛争が起きているところに、一方の国家元首が訪問するのは相手国を度外視する暴挙だ」と興奮し、<朝日新聞>は「最も近い友邦だった日本との関係を危険に陥れるのは、責任ある政治家の行動と見るには驚かざるを得ない」と指摘した。

そして日本政府は韓日両国メディアの高い関心を引くもう一つの措置を取り出した。 独島の領土紛争を解決するため、国際司法裁判所(ICJ)に提訴する事にしたのだ。 国際司法裁判所は国家間の法的紛争を平和的に解決するために設立された国連の主要司法機関の一つで、その設置根拠は国連憲章(92~96条)に置いている。 しかし、国際司法裁判所は「強制管轄権」を持っていないため、実際の裁判所に行くには紛争当事国の同意が必要だ。 したがって、韓国政府が同意しない限り、独島問題は国際司法裁判所で扱われる可能性は無い。

日本政府はこのような状況を知らないのだろうか。いや、よく知っている。 玄葉光一郎外相は11日、この措置を取る理由について、「日本の主張を国際社会にきちんと理解させる必要があるため」と説明した。 韓国政府は訴訟には応じないが、今や世界の主要国家に成長した韓国が提訴に応じなければ、国際的威信が墜落し、そうするといつかは応訴するしかないという狙いだ。 民主党の実力者の一人、前原誠司政調会長も「韓国が自信があるなら、応訴すればいい。 応訴しないのは自信が無いという意味として受け止めざるを得ない」と挑発した。

実際に独島をめぐって、この60年余りの間、両国が展開してきた論争を見てみると、今回の措置は1965年6月韓日国交正常化以降、日本が維持してきた独島政策を根本的に再検討し始めたというシグナルと解釈できる。

今は韓日両国政府いずれも否定しているが、1965年6月に締結された韓日協定交渉過程には2つの大きな密約があった。 一つは6次会談が進行中だった1962年11月12日、金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長と大平正芳外相の間で結ばれた請求権の金額と性格に関する密約であり、もう一つは、協議が大詰めを迎えた1965年1月、丁一権(チョン・イルグォン)首相と河野一郎自民党副総裁の間に結ばれた独島密約だ。

汎洋商船パク・コンソクの邸宅ホームバーでの出来事だ。

1945年8月、日本が敗戦した後、独島が韓日両国の間で主要イシューとして浮上し始めたのは、1952年1月18日に発表された大韓民国国務院告示第14号『隣接海洋の主権に関する大統領宣言』が出てからだ。 当時、李承晩政権は、日本の先進漁業から韓国周辺の漁場を保護するため、独島の東側に『李承晩ライン』を引いて日本の船舶の出入りを防いだ。

日本政府は直ちにこれを是正しようとしたが、冷戦時代の自由陣営の分裂を憂慮した米国は協力しなかった。 イ・ウォンドク国民大学日本学研究所長が日本側の韓日会談の外交文書に出てくる独島関連部分を整理・分析した報告書をみると、日本は米国と国連の助けを得て、この問題を解決しようとするもうまく行かず、国際司法裁判所への提訴を推進することになる。 日本政府は1954年9月、第6回韓日会談が行われた1962年3月の2度にわたって、この問題を国際司法裁判所で解決しようと提案しているが、韓国政府はこれを受け入れなかった。


それなら、両国は、独島問題をどう解決したのだろうか。 日本通の政治経済学者であるロー・ダニエルは2006年6月、日本の中曽根康弘元首相とのインタビューで、1965年韓日国交正常化の妥結を控え、韓日両国の関係者の間で独島をめぐった密約が合意されたという内容を聞いた後、2008年に本を書いた。 これを見ると、1965年1月11日、ソウル城北洞の汎洋(ポミャン)商船の所有主パク・ゴンソクの邸宅ホームバーで、丁一権(チョン・イルグォン)首相と日本の国務大臣の密使である宇野宗佑衆院議員(後に首相)などが集まって、 独島について韓日両国が『解決せざるをもって、解決をしたとみなす、したがって、条約には言及しない』という密約を結んだという内容が含まれている。 日本が韓国の独島支配を事実上容認する代わりに、両国政府がそれぞれ独島は自分の領土だと主張する、ここ数十年間続いた両国間の独島政策の大枠が決定されたのだ。

この精神に基づき、同年6月に締結された「紛争解決に関する交換公文」において、両国は「両国間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決することとし、これによって解決できない場合には、両国政府が合意する手続により調整し解決を図ることとする」と合意する。 これによって 国際司法裁判所提訴を含め韓国の同意のない、独島問題の解決は不可能になった。 独島に対する歴史的な認識が欠如したという点で見ると、残念この上ないが、日本が韓国の実効支配を暗黙的に認めたという成果を否定することもできない密約が誕生したのだ。 中国も1978年8月、日本と平和友好条約を結び、「私たちの世代はこの問題の解決策を見出せませんが、我々の次の世代そしてその次の世代は必ず解決策を探す」(鄧小平、当時副主席)とし、釣魚島(尖閣諸島)問題をやり過ごした。 領土問題という難題に直面しなければならなかった鄧小平の苦悩が伝わってくる。

実際、日本政府はこの50年間、「独島が日本の領土」という日本人向けのリップサービスのほかに、韓国の独島実効支配を変えようとするいかなる試みもしなかった。 しかし、今月10日の李明博大統領の訪問後、日本の立場は「これ以上(韓国に対する)配慮をする必要がなくなった」(玄葉外相)という方向に変わった。 いわゆる『協約の精神』が崩れて、韓国の独島実効支配を変更するため、国際司法裁判所に提訴するという古いカードを持ち出したのだ。

それなら独島が国際司法裁判所で扱われたら、どのような結果が出るだろうか。 国際司法裁判所が1945年以降、アジア地域の領土紛争に下した判決としては、タイ・カンボジアの間で起きたプレア・ビヘア寺院事件(1962年)、マレーシア・インドネシアのシパダン島事件(2002年)、マレーシア・シンガポールのペドラ・ブランカ島(2008年)の3つがある。


タイ・カンボジア、マレーシア・インドネシアの判例

9世紀頃に建てられたヒンズー寺院である「プレア・ビヘア寺院事件」の概要は次の通りだ。 1904年、タイの前身であるシャム王国とカンボジアを植民支配していたフランスは、周辺のダングレク山の頂上を中心に、上はタイ、南はカンボジアの領土で国境を確定する。 しかし、フランスの手違いで、実際には山の北側にある寺院が南側にあるものと表記された。 しかし、タイは1934年、この事実を確認してもこれといった問題提起をしなかったが、1949年になって寺院の所有権を主張してカンボジアを追い出し、実効支配を始めた。 カンボジアは1959年10月、同事件を国際司法裁判所に提訴し、裁判所は1962年6月15日、カンボジアの領有権を認める判決を下す。 タイが地図の誤りに気付いた後も、長い間問題提起をしなかったのは、この土地の所有権がフランス(そしてその後を引き継いだカンボジア)にあることを認めたという理由からだった。 もう一つの例であるシンガポール海峡の東端にあるペドラ・ブランカ島の事例でも、国際司法裁判所はこの島が1844年までマレーシアの領土だったことは認めたが、その後、英国とシンガポールがこの地域に対する海難事故の調査、訪問規制、海軍通信装備の設置などの主権行使をする間、マレーシア側が問題提起をしなかった点を挙げて、この島がシンガポールの領土であることを認めた。


前述の判例からも分かるように、国際司法裁判所は紛争地域が過去どの国に近かったのかを意味する「歴史的権源」よりも、その地域に対して相手国が特に問題提起をしない中、継続的かつ平和的な主権行使をしてきた事実を領有権紛争の重要判断基準としている。 これは国内メディア各社が独島が韓国領土であることを示す決定的な証拠として時々提示する古地図が独島問題を扱うのにあまり重要な変数でない可能性もあることを意味するものだ。 

また、韓国政府が半世紀以上、独島を実効支配してきたのは事実だが、日本が一国の実効支配の効力を否定する粘り強い抗議をしてきたのも事実だ。

したがって、独島問題が国際司法裁判所で扱われたら、今まで行われたどんな領有権関連の裁判よりも激化して長い戦いになる可能性が高い。 裁判所の判断に影響を与えることが争点として、 日本が1905年1月28日閣議決定で、独島とは無主地を日本の領土に編入したことが、日本政府の帝国主義的領土拡張に当たるかどうか、1951年9月に締結されたサンフランシスコ講和条約で、日本から除外される領土として、独島が明記されていないことに対する解釈、1952年1月、李承晩ラインで始まった韓国の実効支配の正当性に対する判断など簡単ではない争点を議論しなければならない。

どうであれ、今後、独島に対する日本の挑発的な攻勢は強まるのであり、我々はこれに対応するために少なからぬ外交力を浪費するしかない。

結論的に、韓国の領土である独島に、韓国の大統領が上陸した事実を同じ韓国人と非難することは容易ではないことだ。 しかし、「骨の髄まで親日・親米的」な外交基調を維持し、過去4年半を無駄にしてきた大統領が取った行動と見るには、あまりにも即興的で無責任な行動という批判を避けることはできない。 李明博大統領と同じくらい大韓民国を愛した歴代大統領たちが何故独島を訪問しなかったのかは、それなりの理由があったはずなのに、今後続いていく日本の全方位的な独島挑発に5千万人が受けるストレスと、もしかしてあるかもしれない実際的被害を考えてみると、心から残念な気持ちを禁じ得ない。


ソース
https://www.bigkinds.or.kr/v2/news/newsDetailView.do?newsId=01101001.20120818100000009
魚拓
https://archive.vn/6Ol5R



「韓日両国が領有権を主張するものの、反論に異議を唱えない」

月刊中央が韓国と日本の生存者の証言と資料を根拠に追跡した独島密約は「解決せざるをもって、解決をしたとみなす。したがって韓日基本条約では言及しない」という原則の下、4つの付属条項から構成されている。

付属条項は ▲独島は韓日いずれも自国の領土だと主張し、これに反論することに異議を唱えない。 ▲将来に漁区を設定する場合、両国が独島を自国の領土とする線を画定して、二線が重複する部分は共同水域とする ▲現在の韓国が占拠した現状を維持する。 しかし、警備員の増強や新施設の建築・増築は行わない。 ▲両国はこの合意を引き続き守っていく という4項目だ。

月刊中央は、その独島密約は合意翌日、朴正熙大統領の裁可を受け、この知らせを聞いた宇野議員は、それまで秘密保持のために利用した龍山米軍基地で日本の河野一郎建設長官に電話でこの事実を知らせており、河野はこれを当時米国を訪問中だった佐藤首相に伝えたと明らかにした。

この過程で核心的な役割を果たした人物は、金鍾泌元首相の実兄の金鍾洛当時韓一銀行専務だった。 当時、金元首相は、「韓日協定の屈辱交渉反対デモに対する責任を負い、自我半他で外遊を離れた状態だった。

金氏はインタビューで「韓国と日本が独島問題を、今後解決すべきだということで一応解決したとみなすアイデアは私が出した」、「朴正熙軍事政府は独島密約を通じて日本から韓国が韓半島の唯一の合法政府という言明とともに、経済開発に必要な資金を確保した」と話した。

当時、読売新聞ソウル特派員として独島密約を向けた丁一権・河野の連結に決定的な役割をしたシマモトゲンロウ(80)は「宇野宗佑議員がパク・ゴンソク会長の自宅で丁一権首相に独島密約文書を渡す席に出て金鍾洛、文徳周外務次官(当時)ら3人がいた」と証言した。

月刊中央は「韓日両国は金泳三政権時代、独島に新しい接岸施設を建設することで、約束を破ったこと以外には、ほとんど密約を遵守してきた」と明らかにした。

42年前韓日『独島密約』実体は
https://news.joins.com/article/2665406

 
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