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ネイバーから、【 [独島の話] 虚偽宣伝物を作った日本政府、これを広げた米外交官 】という記事の翻訳


竹島についての連載物記事です。
韓国ではこのように竹島の話題が途切れることがありません。日常的に継続して独島は韓国領土だという主張を大手マスコミも繰り返しています。
※ネチズンのコメントは少ないです。




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[独島の話] 虚偽宣伝物を作った日本政府、これを広げた米外交官

朝鮮日報
記事入力 2020.05.17 11:09   最終修正 2020.05.17 14:44



[イ・ソンミンの独島の話]
[3]日本、再び独島を狙う
日本外務省「鬱陵島・独島は日本領土」パンフレット製作
"駐日米国大使" シーボルトが米国とマッカーサー司令部に配布


※独島をめぐる韓国と日本の対立は、一編の大河ドラマのようだ。 多くの執念深い人物が登場し、様々な争点をめぐって激論と攻防が交わされる。 そして舞台の上には主人公である韓日両国だけでなく、審判格の米国を中心とする国際社会がある。 1945年、日本敗戦後、本格化した「独島問題」の歴史や現況を、これまであまり知られていなかった内容を含み、ストーリー・テーリング方式で毎週日曜日に連載する。 /編集者

[独島の話][1]その年の夏、"独島守護" の偉大な第一歩を踏み出す。(bit.ly/2WG6vLQ)
[独島の話][2]"独島は韓国の領土" 大きな足跡を残した知識人3人組。(bit.ly/2yWvx1w)

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1951年1月、東京のあるレセプション会場で同席したダラス米大統領特使、シーボルト在日米政治顧問、吉田茂日本首相(左から)。 親日的だったシーボルトは、独島問題で露骨的に日本の肩を持った。


独島周辺で漁をしていた韓国漁船を日本漁船が攻撃したのが韓国に知られ、独島問題が関心事として浮上した1947年6月、日本外務省は『日本本土に隣接する小島嶼(Minor Islands Adjacent to Japan Proper)第4冊(Part IV)』という(英文)パンフレットを刊行した。

1946年11月に第1巻、1947年3月に第2・3巻がそれぞれ刊行されたこのパンフレットは、第二次世界大戦を公式的に終結する連合国と日本の平和条約締結を控え、日本が周辺島々の領土帰属を自己に有利になるように連合国側に宣伝するためのものだった。

第二次世界大戦後の日本に対する処理方針を明らかにした1945年7月26日のポツダム宣言第8項は、「日本国の主権は、本州・北海道・九州・四国及び私たちが定める小さな島々(Minor Islands)に限られるだろう」と明らかにした。 日本は連合国にまさにその「小さな島々」に対する自分の立場を知らせようとしたのだった。 このような意図は、地理的隣接性を表現したものと感じられる英文パンフレットの題名よりも、共に刊行された日本語パンフレットの題名『日本の付属小島』により明確に表れた。

このパンフレットの第1巻はソ連と領土紛争があるクリル列島の『北方領土』、第2巻は沖縄など中国海の島々、第3巻は小笠原諸島など日本の南方の島々を扱い、第4冊は太平洋と東海(トンヘ)の島々を収録した。

ところが意外にも『日本の付属小島』第4冊に鬱陵島と独島が入っていた。 日本が連合国に独島だけでなく、鬱陵島まで日本領土だと主張したものだった。 これはパンフレットに一緒に収録された地図にもそのまま反映された。 東海は『日本海(Japan Sea)』と表記され、鬱陵島は『Utsuryo』、独島は『Take』という日本の名前をつけた。

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1947年6月、日本外務省による『日本の付属小島』第4巻に添付された地図。 鬱陵島と独島を日本領土と表示した。


パンフレットの本文は、鬱陵島と独島についてそれぞれ以下のように叙述した。

【鬱陵島】日本は1004年から鬱陵島をうるま島と呼んでいる。 韓国政府は1400年以来、この島に対して空島政策に固執してきた。 その間、日本人がこの島に進出し、日本の漁業基地になった。 17世紀初めから韓国と日本の間でこの島の所有権をめぐる交渉が行われ、1697年に日本の幕府は日本人が鬱陵島に行くことを禁止した。 しかし、韓国はその後も空島政策を変更しなかった。 19世紀後半、日本人は鬱陵島開発を主張して渡り、韓国政府も自ら開発しようとしたが、結果を出せなかった。 1910年、日本の韓国併合で鬱陵島は日本の領土になった。

【独島】日本は古代から独島の存在を知っていた。 1904年島根県隠岐島住民たちが鬱陵島を基地として活用して独島でアシカを狩り始めた。 鬱陵島は韓国語の名称があるが、独島は韓国語の名前がなく、韓国で作った地図に表示されていない。


この叙述は鬱陵島に対しては事実と虚偽を巧みに交ぜて、全体的に日本に有利に認識されるようにした。 独島についてはほとんど虚偽の記述だった。 日本外務省がこのようなでたらめな内容を盛り込んだパンフレットを作ったのは、当時の日本が鬱陵島はもちろん、独島周辺にも接近できない状況をどうにか覆そうと必死だったからだ。

第2次世界大戦で日本が敗亡した後、日本に進駐した米軍は連合国軍最高司令部(SCAP·Supreme Commander for Allied Powers)を通じて日本を占領統治した。 司令官だったマッカーサーに因んで『マッカーサー司令部』とも呼ばれたSCAPは、連合国軍最高司令官指令(SCAPIN·SCAP Instruction)として具体的な行政指示を下した。

1946年1月29日に発表されたSCAPIN第677号はSCAPが管轄する日本と韓国の行政区域を指定し、独島を済州道・鬱陵島とともに韓国に含ませた。 さらに、1946年6月22日に発表されたSCAPIN第1033号は、日本船舶が独島12海里以内に接近することを禁止した。 『マッカーサーライン』と呼ばれたこの海洋線は、独島に対する日本の実効的支配を公式的に遮断する結果を生んだ。

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1946年1月29日、連合国軍最高司令部が発表したSCAPIN第677号に添付された地図。 独島を鬱陵島とともに韓国の行政区域として明示した。


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SCAPIN第677号に添付された地図のうち、鬱陵島と独島部分を拡大したもの



このように明らかに韓国領土である鬱陵島と独島を日本の領土と主張するとんでもないパンフレットを作った人は誰だろうか?

光復直後に独島問題に精通した鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花(イファ)女子大学教授は著書『独島1947』で、当時日本外務省で領土問題を担当した川上健三を名指しした。 戦後の日本の独島研究と対応の核心人物だった彼が1906年、島根県が鬱陵島と独島調査結果をまとめて出版した『竹島や鬱陵島』という本を参照して作ったということだ。

川上健三(1909-1995)は京都帝国大学史学科を卒業後、第二次世界大戦当時、参謀本部として大東亜省で勤務した。 日本帝国主義の論理と体質が身に染みた彼は、敗戦後外務省に入省し、隣国との領土紛争に関する報告書の作成を担当した。 彼は後日、ソ連公使を歴任し、退任後も外務省の仕事を手伝った。

博識な歴史・地理・国際法の知識をもとに『条約問題の権威者』として活動した川上は、独島問題にも明確な足跡を残した。 彼は1950年代、韓国と日本の間に独島紛争が発生すると、日本側の声明の作成を主導した。 彼が1953年8月に出版した『竹島の領有』は、当時まで、日本が蓄積した独島関連事実と論理を日本側の立場で総合整理したものだった。 彼はその後も独島問題に関する探求を続け、1966年『竹島の歴史地理学的研究』を再び出版した。 この本は今でも独島問題に関する日本の公式立場を代弁するものと評価されている。


川上健三は今後、独島問題の真実を訪れるこの連載物の随所に登場する。 たとえ敵陣の理論家であり、多くの部分で事実を歪曲して隠蔽したが、それなりに自国の国益のために渾身の力を傾けた彼の名前を覚えておこう。

鬱陵島と独島が日本領土だと主張する日本外務省が作ったパンフレットは3ヵ月後の1947年9月、米国務省に20部発送された。 東京の連合国軍最高司令部にも10部余りが配布された。 日本の領土決定に影響を与えかねない有力機関に日本側の立場を盛り込んだ冊子が配られるのに決定的な役割を果たした人は、東京にいた米外交官のシーボルトだった。

ウィリアム・シーボルト(William Sebald、1901~1980)は、アメリカ海軍兵学校出身で軍人、弁護士を経て、1945年12月に外交官に転身、その時から1952年4月まで東京で勤務し、大きな影響力を発揮した。 日本語が上手で、夫人は日系英国人、多くの日本人の有力者を友人としていた彼は、代表的な知日・親日米国人だった。

下級外交官として出発した彼は、マッカーサーの信頼をもとに素早く昇進した。 中国通であり反日的人物で連合国軍最高司令部で非常に重要な職責を担った在日米政治顧問とSCAP外交局長を兼任していたジョージ・アチソンが1947年8月、飛行機墜落事故で死亡し、その地位を経歴と年齢の足りないシーボルトが譲り受けたことは日本にとって幸いであり、韓国には不幸だった。

日本の外務省幹部らは、事実上、駐日米国大使だったシーボルトを随時訪問し、日本が作成した報告書を渡した。 彼らは真夜中に密かに会ったこともある。 シーボルトは、日本側の公式文書を本国に伝えるだけでなく、積極的に日本の肩を持った。

彼は1949年11月、米国務省が対日平和条約第5次草案で独島を済州道・巨文島・鬱陵島とともに日本の領土から排除すると、「リアンクール岩礁(竹島)に対する再考を進言する。 この島に対する日本の主張は古く妥当性があると考えられる」という電文を送った。

1952年1月、李承晩大統領が李承晩ラインを宣言し、独島問題が韓国と日本の間の争点に浮上した時も、米国国務長官に送った公電で「独島は日本の領土で正しい」と主張した。

韓国がまだ政府も樹立していない状態で内部的に理念対立と混乱が続いている中、再び独島を狙う日本の組織的で執拗な動きが始まった。 そして、この問題に大きな影響力を持つ東京の連合国軍最高司令部中心には、親日的な米国高位外交官が構えていた。 今や韓国の意思とは関係なく、独島領有権をめぐって韓日間の対決が迫っていた。 そしてその舞台は連合国と日本の和平会談が開かれる米サンフランシスコだった。


韓国ネチズンの反応
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ソース
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=023&aid=0003531729


01. 韓国人
ところで、なぜ朝鮮日報は日本でフェイクニュースを書くんですか。
共感46 非共感6


02. 韓国人
>01
お前が好きそうな反米記事を持って来たんじゃないか~ なんで怒るんだよ~
共感2 非共感5


03. 韓国人
>01
もう少し様子を見ててください。
世の中を見ながら、大勢だと思ったら親中記事に塗り替えます。
すでに朴槿恵の中国訪問時、完全に親中記事だけを書いたことを覚えていませんか。
それが朝鮮日報の生存方法です。
大勢の口に合う記事を書くことだ...
共感4 非共感0


04. 韓国人
朝鮮日報は、日本語版で日本極右が大韓民国を狙うようなことがないよう、奴らの口実となるような記事に国益的観点と客観性を徹底して履行することを望む。
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05. 韓国人
対馬を私たちの領土だと公式主張しよう!
共感12 非共感0

<管理人の独り言>
対馬の件は何度も言ってますが、本当に深刻になってきました。


06. 韓国人
朝鮮日報はあの時、天皇陛下万歳などのニュース1面で出さなかったのか?
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07. 韓国人
米国は韓国の友好国ではない。
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08. 韓国人
朝鮮日報が狂ったな..
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09. 韓国人
それを仲たがいさせる朝鮮日報
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10. 韓国人
朝鮮日報はイルベ極右親日派だ。
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11. 韓国人
証拠は多いが何一つ真実なものはない。
心から独島が日本の領土だと考えるなら、命かけて戦争を行うべきだ、日本よ。
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